インフレーションの鎮静化とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > インフレーションの鎮静化の意味・解説 

インフレーションの鎮静化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 03:54 UTC 版)

ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション」の記事における「インフレーションの鎮静化」の解説

レンテンマルク」も参照 ハイパーインフレーション危機により、有名な経済学者政治家たちがドイツ通貨安定させる手段検討し始めた国内存在する金や外国為替用いて金本位制復帰すべきというもの、それでは不十分なので国内にある物的価値基礎として新たに貨幣制度創設すべきとするものなどがいた。 1923年8月には、経済学者のカール・ヘルフェリッヒ(英語版)がライ麦マルク(ロッゲンマルク、Roggenmark)と称するライムギ市場価格基準とした資産担保証券裏付けられ新し通貨発行する計画ヴィルヘルム・クーノ内閣に対して提案した農業およびそれ以外産業に対して半分ずつ抵当形式課税することで資本金調達し、この抵当に対して発行される証券保証準備としてライ麦マルク発券する。これは資本家地主階級利益反映したであったグスタフ・シュトレーゼマン内閣成立すると、その財務大臣ルドルフ・ヒルファディングはヘルフェリッヒの提案反対した。しかし食糧農業大臣であったハンス・ルターがヘルフェリッヒの案を支持してシュトレーゼマン関心を引き、まもなくルター財務大臣となって、ヘルフェリッヒの提案を基に土地マルク(ボーデンマルク、Bodenmark)の発行提案した土地債務債券基準として金マルク採用した点がライ麦マルクとは異なっていた。さらに修正加えて土地マルクでは唯一の法定貨幣にすることになっていて、流通中の帝国銀行券の使用停止することになっていたが、引き続き帝国銀行券が通貨としての効力有するように改めて、新マルク(ノイマルク、Neumark)の発行となった土地マルクでは、帝国銀行廃止されることになっていたが、長い間わたって築かれ帝国銀行信用機構を失うのは不経済であるという点で、帝国銀行存続帝国銀行券の法貨としての維持認めることになった1923年10月13日、「財政的経済的および社会的領域において、政府が必要かつ緊急と思う諸方策を行う全権与えその際憲法基本的権利から逸脱しうる」とする授権法議会成立した。それに基づいて10月15日にドイツ・レンテン銀行設立令 (Verordnung über Errichtung der Deutschen Rentenbank von 15 Oktober 1923) が制定され10月20日にドイツ・レンテン銀行発足11月15日営業開始してレンテンマルク発行開始された。11月12日ヒャルマル・シャハトライヒ通貨委員就任してドイツ・レンテン銀行運営責任者となった。 レンテン (Renten) という言葉は、地代資本利子年金といった意味があるドイツ農民地主に対して借りている土地のレンテンを支払なければならなかったが、レンテンを支払い続けることによって土地代の元本償還し土地がいずれ自分ものになるということはなく、永久に支払い続けなければならないものであった19世紀後半農民をレンテンの負担から解放する運動発生し農民銀行から資金借りて土地購入し銀行対し利払い元本償還を行うようになったこのため銀行もレンテン銀行称し土地に対して発行される証券をレンテン証券銀行対す支払いをレンテンと呼んだ。したがって、ドイツ・レンテン銀行設立前からドイツには各地にレンテン銀行いくつも存在しており、レンテンマルク発行主体となった銀行はドイツ・レンテン銀行呼んで区別する。 ドイツ・レンテン銀行私企業であり、通貨発行権を持つ銀行ではなかった。したがってレンテンマルクノートゲルト一種である。法貨ではないが、政府支払手段としてレンテンマルク受け入れるとされていた。銀行資本金32レンテンマルクとされ、半分農業から、残り商工業銀行業から調達した農業からの出資分については、1913年7月3日国防分担金補填法 (Wehrbeitrag und Deckungsgesetze vom 3 Juli 1913) に基づいて国防分担金徴収された際の金額算定基準となった農地価格の4パーセント債権として銀行取得することによって実施された。したがって農家農地価格の4パーセント債務をドイツ・レンテン銀行に対して負ったことになっただけで、現金での出資ではなかった。農業以外の部門からの出資についても、土地に関しては同じ方式であり、土地債務充当できない部分については別途債務証書差し入れた。こうしてドイツ・レンテン銀行出資者から金マルク戦前マルク価値相当する純金の1/2790キログラム価値)建ての債務証書の形で出資を受ける。この債務対し出資者は年6パーセント利子銀行に払わなければならない。ドイツ・レンテン銀行はこの債務証書保証準備として5パーセント利子付きのレンテン債券発行し、さらにこのレンテン債券支払準備としてレンテン銀行券レンテンマルク)を発行するレンテンマルク発行高は資本金準備金合計額を超えてならないレンテンマルク請求があれば、レンテン債券兌換する。これにより、レンテン銀行券レンテンマルク建てで表示されているが、レンテンマルク戦前金マルク等し価値を持つことになる。 ヒャルマル・シャハトライヒ通貨委員就任した1923年11月12日以降ドイツ中央銀行であるドイツ帝国銀行これ以上政府国債購入することを認められなくなり、これにより対応するパピエルマルク発行停止した商業手形割引をすることは認められレンテンマルク総額増大することになるが、現在の商取引および政府取引一致するように厳格に発行管理された。ドイツ・レンテン銀行は、レンテンマルク法定貨幣ではないことから、政府レンテンマルク借りることができない投機家対す信用供与拒否したレンテンマルクパピエルマルク交換比率は、法律では定められなかった。ドルパピエルマルクの間は為替変動があり、ドルレンテンマルクはほぼ固定であったため、レンテンマルクパピエルマルクの間でも交換比率変動することになったレンテンマルク絶大な信用得て発行開始から数日の間、帝国銀行窓口にはパピエルマルクレンテンマルク交換しようとする人の長い行列形成された。レンテンマルク発行開始11月15日時点で、ベルリン市場におけるドルパピエルマルク為替レート1ドル1兆5200億マルクであったが、11月20日1ドル4兆2000マルクまで下落した時点安定した。これにより、戦前金マルクでは1ドル4.2マルクであったが、パピエルマルク価値はそれに比べて1兆分の1に下落したことになり、1兆パピエルマルクが1金マルク等しく、また1レンテンマルクが1金マルク等しいことから、1兆パピエルマルクが1レンテンマルクの公式が成立した帝国銀行総裁のルドルフ・ハーフェンシュタイン(英語版)は、奇しくも為替相場安定した1923年11月20日死去しシャハト11月22日後任帝国銀行総裁就任してドイツ・レンテン銀行責任者兼務となった世界各地市場では、11月20日以降マルク価値下落したが、ドイツ帝国銀行1ドル4兆2000パピエルマルク為替相場維持するように為替介入した。12月14日には、帝国銀行パピエルマルクレンテンマルク1兆マルク=1レンテンマルク交換する初めて公式表明したレンテンマルク発行当初は、人々パピエルマルク忌避してレンテンマルク歓迎していたが、発行開始から2週間もするとこの1兆マルク=1レンテンマルク計算しやすい固定交換比率定着してパピエルマルクレンテンマルク同様に並列で使うようになった。こうして1923年12月下旬レンテンマルクだけでなくパピエルマルクについても価値安定することになった1923年9月から10月にかけては、猛烈なインフレーションにより社会経済情勢悪化し商工業不振極め失業増大し食糧配給危機陥る状況であり、一方政府財政赤字依然として巨額であったため、レンテンマルク発行につながる最初の提案出したヘルフェリッヒでさえ、レンテンマルク発行実効性危ぶんでいた。ところが、レンテンマルク発行され数日インフレーション沈静化為替相場安定し政府財政均衡回復して国民生活改善向かったことで、当時の人々にとっては奇跡としか思われず、「レンテンマルク奇跡」という言葉使われるようになったレンテンマルク発行開始合わせて帝国銀行11月17日回状訓令全国支店送って11月22日以降支店窓口ノートゲルト受け取らないように指示し、またノートゲルト発行団体ノートゲルト回収するように要求したノートゲルト回収急速に進み総額10億金マルクにも上った概算されノートゲルト1924年1月末には5億金マルク6月中旬には1億金マルク減少していき、1924年10月末にはほぼすべてが回収された。 こうしてインフレーション沈静化為替相場安定したが、賠償金の支払いのようなドイツ国内ではどうすることもできない支出や、ドイツ国内物価騰貴のための貿易赤字のような問題起きると、再び為替相場安定失いかねない問題残っていた。またドイツ国内のレンテン債券兌換レンテンマルクは、国際的な決済手段としては使いづらい問題があった。1924年4月9日賠償委員会提出されいわゆるドーズ案最終報告書では、ドイツ通貨安定賠償履行自体にも不可欠であるとして、ドイツ帝国銀行通じた貨幣創設提案した。これを受けて1924年8月30日ドイツ政府貨幣法 (Münzgesetz vom 30. August 1924) を制定し10月1日から施行した。この法律に基づきドイツ帝国銀行新たにライヒスマルクという通貨発行し戦前金マルクと同じ金1キログラムが2790マルク比率で金兌換する、金本位制復帰することになった1兆パピエルマルクを1ライヒスマルク交換するとともに過渡的役割果たしたレンテンマルクについても以後順次回収してドイツ・レンテン銀行清算されることになった

※この「インフレーションの鎮静化」の解説は、「ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション」の解説の一部です。
「インフレーションの鎮静化」を含む「ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション」の記事については、「ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「インフレーションの鎮静化」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「インフレーションの鎮静化」の関連用語

インフレーションの鎮静化のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



インフレーションの鎮静化のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのヴァイマル共和政のハイパーインフレーション (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS