インフレーション下の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 21:46 UTC 版)
「ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション」の記事における「インフレーション下の生活」の解説
ドイツの経済は、戦後間もなくの時期には工業生産が急回復しており、雇用もほぼ完全雇用の状態にあるなど、好景気となっていた。一方でインフレーションにより物を買うのは困難となっており、食料を手に入れるためには何時間も並ばなければならなかった。こうした行列はたいてい女性の仕事であった。中流階級の人々は、手持ちの宝飾品や書籍などを売却して当座の資金を得て生活する一方、インフレーションで大もうけした人やマルクの下落で手持ちの外貨の価値が増大した外国人がこうした物品を買いあさっていった。外国人は、月に100ドルもあれば王侯貴族の生活をした上に、美術や骨董品を好きなだけ買うことができた。手持ち品を売っても生きていくことのできない人は、盗みや麻薬の密売などの犯罪に手を染めるほかなかった。一方で現実生活の地獄から目をそらすため、ベルリンの繁華街などはダンス、ジャズ、ヌードショーなどの娯楽で溢れかえっていた。 1923年に入るとルール占領への消極的抵抗によりハイパーインフレーションへと発展し、一般庶民は貯蓄を失うなど深刻な状態となっていた。食料を手に入れられず、子供の栄養失調や餓死が続出した。マルクの購買力が半日で半分から3分の1になるため、賃金や給与は支給直後に物に替えなければならなかった。小売業や農民は価格上昇を見越して売り惜しみ、物々交換のみに応じるようになった。1923年後半には、貨幣価値の下落が急激であったため、給与は週に3回支払われ、さらには1日2回支払われるまでになった時期もあった。食料やその他の生活必需品の供給が途絶し、各地で略奪や暴動が広がって、1923年9月27日には非常戒厳令が宣告された。 都市の商店に食料がないため、農村に買い出しに行くほかなかったが、農民もすぐに価値の下がってしまう紙幣を受け取りたがらず、結局物々交換をするほかなかった。都市部ではわずかなスペースを使って家庭菜園を作り、鶏やウサギの飼育が広まった。救世軍などの慈善団体が実施する給食活動には、失業者やホームレスなどだけでなく、中産階級や知識人などまで並んだ。賄賂を使い、投機を行い、利殖に励み、手際が良く要領の良いものが大きな利益を上げた。 一方、財閥や大企業はインフレーションによってそれまで負っていた債務が実質的に帳消しとなり、大きな利益を得た。フーゴ・シュティネス(ドイツ語版)などは、マルク暴落を利用して工場、炭鉱、企業の株式、船舶、城、土地などあらゆるものを買いあさったが、その支払い額はあっという間に無価値なものとなったため、ほとんどただで手に入れたことになり、莫大な富を築いた。 インフレーションの過程で中産階級が大きく苦しみ、労働者階級と合流して「群衆」となったことは、その後のドイツの歴史に大きな影響を与えた。
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