撃沈・い号作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/27 16:32 UTC 版)
「アーロン・ワード (DD-483)」の記事における「撃沈・い号作戦」の解説
1943年4月7日、13時30分ごろアーロン・ワードはLST-449のガダルカナル島のトグマ岬沖までの護衛の任務につき目的地に近付きつつあった(このときのLST-449の乗員の中には後にアメリカ合衆国大統領となるジョン・F・ケネディがいた)。 14時19分LST-1級戦車揚陸艦が艦隊に合流し、日本軍機の襲来に備えてジグザグ航行を行った。LSTがアーロン・ワードの隊列に従って航行している間、アーロン・ワード艦長フレデリック・J・ベクトン少佐はフロリダ諸島レンゴ水道東方で、他の輸送船がガダルカナル島から空襲警報を受けとったばかりだという連絡を聞いて、護衛を離脱して輸送船の誘導に急行しようとした。サボ島上空の空中戦を見て、アーロン・ワードは日本軍機の編隊がツラギ島南方へ向うのを確認しこれを追跡、接近した。右舷旋回をしている間にアーロン・ワードは3機の敵機が太陽の方向から現れるのを見た。全速力で取舵いっぱいの回避行動を取ると同時に、すぐさまエリコンFF 20 mm 機関砲とボフォース 40mm機関砲で対空射撃を開始した、続いてすぐにMk 12 5インチ砲もそれに続いた。最初の3機からの爆弾は直撃弾もしくは至近弾となった。そして喫水線下の至近弾によって損害が生じた。1発目の至近弾は側面に穴を開け前部弾薬庫に浸水を生じさせた。2発目の爆弾は機関室への直撃弾となり、発電機が破壊され艦内電力が供給不能となったためMk 12 5インチ砲とボフォース 40mm機関砲が使用不能となった。しかしながら、射撃手は手動で操縦しながら対空射撃を継続した。3発目の爆弾は艦尾機関室右舷の至近弾となった、そこは直撃弾のため大破口となっていた。取舵を切るための電源も供給されなくなったが、そしてさらに3機の急降下爆撃機の攻撃を受けたがこれらは撃墜した。それらの爆弾はいずれも命中しなかったが、一方で2機は左舷至近に墜落した。これらの攻撃で20名が戦死、59名が負傷、7名が行方不明となった。卓越した乗組員による懸命の復旧作業と掃海艇のオートラン、ビエロの支援にも関わらず、21時35分アーロン・ワードは海岸から550メートル南の水深70mの地点で沈没した。アーロン・ワードが沈没した際、オートランとビエロはフロリダ諸島のトグマ岬近くの海岸まで曳航しようと試みた形跡がある。
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