第10、第11の哨戒 1944年6月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第10、第11の哨戒 1944年6月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:20 UTC 版)

ソーリー (潜水艦)」の記事における「第10、第11の哨戒 1944年6月 - 11月」の解説

6月29日ソーリー10回目哨戒フィリピン方面向かった7月3日ミッドウェー島寄港して補給後出港したが、7月5日シリンダー部分亀裂入っているのが発見され、その修理のためミッドウェー島引き返した7月6日出港したものの、7月11日になって別のシリンダー亀裂入っているのが発見された。それでも哨戒続けられ7月18日までにはサンベルナルジノ海峡近海哨戒海域到着した8月4日ソーリー獲物求めて哨戒海域を北に変えた8月6日ソーリー護衛なしで航行する貨物船発見。しかし、航空機接近気配感じられたため攻撃しなかった。ソーリーほどなく哨戒海域を後にした。8月23日ソーリー54日間行動終えてマジュロ帰投艦長リチャード・A・ワーグ少佐アナポリス1937年組)に代わった。 9月20日ソーリー11回目哨戒日本近海向かった11月4日までは南西諸島近海救助配備任務に就き10月18日第8戦飛行隊(VF-8)所属パイロット1名を救助したが、敵艦撃沈機会はなかった。11月5日サイパン島寄港したのち、第101潜水指揮官トーマス・B・クラークリング(英語版大佐指揮下、他の潜水艦とともにウルフパック "Burt's Brooms" を編成して11月10日から日本の南洋上配置されている特設監視艇群を蹴散らす作戦従事したソーリー第二群に属し小笠原諸島近海任務就いたが、天候不良悩まされた。11月15日夕刻には北緯2954東経13939分 / 北緯29.900度 東経139.650度 / 29.900; 139.650の地点特設監視艇高城丸(山下恭一91トンに対して魚雷を4本発射するが、命中しなかった。11月18日未明には北緯3114東経14150分 / 北緯31.233度 東経141.833度 / 31.233; 141.833の地点特設監視艇支援中の特設砲艦津丸大阪商船、2,721トンに対して二度にわたり雷撃行った11月29日ソーリー65日間行動終えて真珠湾帰投。これがソーリー最後哨戒となった

※この「第10、第11の哨戒 1944年6月 - 11月」の解説は、「ソーリー (潜水艦)」の解説の一部です。
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