第10、第11の哨戒 1944年6月 - 11月
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「ソーリー (潜水艦)」の記事における「第10、第11の哨戒 1944年6月 - 11月」の解説
6月29日、ソーリーは10回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。7月3日にミッドウェー島に寄港して補給の後出港したが、7月5日にシリンダー部分に亀裂が入っているのが発見され、その修理のためミッドウェー島に引き返した。7月6日に出港したものの、7月11日になって別のシリンダーに亀裂が入っているのが発見された。それでも哨戒は続けられ、7月18日までにはサンベルナルジノ海峡近海の哨戒海域に到着した。8月4日、ソーリーは獲物を求めて哨戒海域を北に変えた。8月6日、ソーリーは護衛なしで航行する貨物船を発見。しかし、航空機接近の気配が感じられたため攻撃しなかった。ソーリーはほどなく哨戒海域を後にした。8月23日、ソーリーは54日間の行動を終えてマジュロに帰投。艦長がリチャード・A・ワーグ少佐(アナポリス1937年組)に代わった。 9月20日、ソーリーは11回目の哨戒で日本近海に向かった。11月4日までは南西諸島近海で救助配備任務に就き、10月18日に第8戦闘飛行隊(VF-8)所属のパイロット1名を救助したが、敵艦撃沈の機会はなかった。11月5日にサイパン島に寄港したのち、第101潜水群指揮官トーマス・B・クラークリング(英語版)大佐の指揮下、他の潜水艦とともにウルフパック "Burt's Brooms" を編成して、11月10日から日本の南方洋上に配置されている特設監視艇群を蹴散らす作戦に従事した。ソーリーは第二群に属し、小笠原諸島近海で任務に就いたが、天候不良に悩まされた。11月15日夕刻には北緯29度54分 東経139度39分 / 北緯29.900度 東経139.650度 / 29.900; 139.650の地点で特設監視艇高城丸(山下恭一、91トン)に対して魚雷を4本発射するが、命中しなかった。11月18日未明には北緯31度14分 東経141度50分 / 北緯31.233度 東経141.833度 / 31.233; 141.833の地点で特設監視艇を支援中の特設砲艦神津丸(大阪商船、2,721トン)に対して、二度にわたり雷撃を行った。11月29日、ソーリーは65日間の行動を終えて真珠湾に帰投。これがソーリーの最後の哨戒となった。
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