第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年3月
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「ハダック (潜水艦)」の記事における「第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年3月」の解説
10月8日、ハダックは10回目の哨戒でハリバット、ツナ (USS Tuna, SS-203) と共にウルフパックを構成し、フィリピン方面に向かった。担当海域では、フィリピンを攻撃する第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の支援などの任務に従事した。10月25日のレイテ沖海戦ではルソン海峡東方を哨戒しており、小沢治三郎中将率いる機動部隊を監視していたが、ハダックは潜望鏡が故障するトラブルに見舞われ、あまり活躍できなかった。それでも10月31日から11月1日にかけてはハリバット、ツナと連携して輸送船団を攻撃し、11月1日朝に魚雷を4本発射して2本が目標に命中したと判定され、別の目標に対して行われた雷撃は成功しなかった。11月6日朝にも4,000トン級輸送船に対して魚雷を発射した。12月10日、ハダックは60日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 1945年1月24日、ハダックは11回目の哨戒でセネット (USS Sennet, SS-408) 、ラガート (USS Lagarto, SS-371) とウルフパックを構成し、日本近海に向かった。2月5日にサイパン島に寄港し、ここで艦長がウィリアム・H・ブロックマン・ジュニア中佐(アナポリス1927年組)に代わった。補給の後哨区に到着。2月11日から14日にかけて、3隻は近く硫黄島攻略の援護で関東地方を空襲する第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)のジャンボリー作戦に呼応して、邪魔な特設監視艇を次々と攻撃した。2月13日、ハダックは北緯30度00分 東経136度30分 / 北緯30.000度 東経136.500度 / 30.000; 136.500の地点でセネット、ラガートと連携して、2隻の特設監視艇、第三号昭和丸(籠尾兼吉、76トン)と第八事代丸(寺本正市、109トン)を砲撃で撃沈した。翌2月14日には特設監視艇第三感應丸(佐野信太郎、98トン)に対して攻撃を行ったが、撃沈することは出来なかった。3月5日にも北緯32度33分 東経132度24分 / 北緯32.550度 東経132.400度 / 32.550; 132.400の地点でジグザグ航行する目標に対して特殊な魚雷を発射した。3月19日、ハダックは51日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。艦長がアルバート・R・ストロー少佐(アナポリス1939年組)に代わった。
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