第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年3月とは? わかりやすく解説

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第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:33 UTC 版)

ハダック (潜水艦)」の記事における「第10、第11の哨戒 1944年10月 - 1945年3月」の解説

10月8日ハダック10回目哨戒ハリバットツナ (USS Tuna, SS-203) と共にウルフパック構成しフィリピン方面向かった担当海域では、フィリピン攻撃する第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)の支援などの任務従事した10月25日レイテ沖海戦ではルソン海峡東方哨戒しており、小沢治三郎中将率い機動部隊監視していたが、ハダック潜望鏡故障するトラブル見舞われ、あまり活躍できなかった。それでも10月31日から11月1日にかけてはハリバットツナ連携して輸送船団攻撃し11月1日朝に魚雷を4本発射して2本が目標命中した判定され別の目標に対して行われた雷撃成功しなかった。11月6日朝にも4,000トン輸送船に対して魚雷発射した12月10日ハダック60日間行動終えて真珠湾帰投した。 1945年1月24日ハダック11回目哨戒セネット (USS Sennet, SS-408) 、ラガート (USS Lagarto, SS-371) とウルフパック構成し日本近海向かった2月5日サイパン島寄港し、ここで艦長ウィリアム・H・ブロックマン・ジュニア中佐アナポリス1927年組)に代わった。補給の後哨区に到着2月11日から14日にかけて、3隻は近く硫黄島攻略援護関東地方空襲する第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)のジャンボリー作戦呼応して、邪魔な特設監視艇次々と攻撃した2月13日ハダック北緯3000東経13630分 / 北緯30.000度 東経136.500度 / 30.000; 136.500の地点セネット、ラガートと連携して、2隻の特設監視艇第三昭和丸(籠尾兼吉、76トン)と第八事代丸(寺本正市109トン)を砲撃撃沈した。翌2月14日には特設監視艇第三感應丸(佐野信太郎、98トンに対して攻撃行ったが、撃沈することは出来なかった。3月5日にも北緯3233東経13224分 / 北緯32.550度 東経132.400度 / 32.550; 132.400の地点ジグザグ航行する目標に対して特殊な魚雷発射した3月19日ハダック51日間行動終えてグアムアプラ港に帰投艦長アルバート・R・ストロー少佐アナポリス1939年組)に代わった。

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