第10、第11の哨戒 1944年5月 - 1944年10月
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「スナッパー (潜水艦)」の記事における「第10、第11の哨戒 1944年5月 - 1944年10月」の解説
5月26日、スナッパーは10回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。この哨戒ではトラック近海での救助艦任務に従事し、陸軍航空隊の爆撃機部隊を支援した。6月9日、浮上しての哨戒中に敵機が雲間から現れ攻撃を始めた。スナッパーは急速潜航したが、爆弾がハッチ上で爆発し1名が死亡、艦長を含む数名が負傷した。スナッパーは潜航を続け、砲弾が船体を叩く音が観測された。浮上して気密室に損傷がなかったことが確認できたものの、激しい重油の跡が燃料タンクに穴が開いたことを示していた。応急修理がなされ、負傷した2名の下士官が6月13日にマジュロで潜水母艦ブッシュネル (USS Bushnell, AS-15) に移送された。移送を終えるとスナッパーは救助艦任務を継続すべくトラック近海に戻った。スナッパーは帰途にマジュロに寄港した。7月21日、スナッパーは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 9月5日、スナッパーは11回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。10月1日、スナッパーは北緯28度20分 東経139度25分 / 北緯28.333度 東経139.417度 / 28.333; 139.417の地点で護衛艦によって護衛された2隻の輸送船団を発見した。スナッパーは大型の目標に対して前部発射管の魚雷を発射し、小型の目標に向けても魚雷を発射した。魚雷は海軍徴傭船盛安丸(川崎汽船、1,900トン)と敷設艇網代に命中し、両方とも撃沈した。その後は硫黄島沖で救助艦任務を10月18日まで行った。10月27日、スナッパーは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。これがスナッパーの最後の哨戒となった。
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