第10、第11の哨戒 1944年5月 - 1944年10月とは? わかりやすく解説

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第10、第11の哨戒 1944年5月 - 1944年10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:15 UTC 版)

スナッパー (潜水艦)」の記事における「第10、第11の哨戒 1944年5月 - 1944年10月」の解説

5月26日スナッパー10回目哨戒トラック諸島方面向かった。この哨戒ではトラック近海での救助任務従事し陸軍航空隊爆撃機部隊支援した6月9日浮上して哨戒中に敵機雲間から現れ攻撃始めたスナッパーは急速潜航したが、爆弾ハッチ上で爆発し1名が死亡艦長を含む数名負傷したスナッパー潜航続け砲弾船体を叩く音が観測された。浮上して気密室損傷がなかったことが確認できたものの、激し重油の跡が燃料タンクに穴が開いたことを示していた。応急修理がなされ、負傷した2名の下士官6月13日マジュロ潜水母艦ブッシュネル (USS Bushnell, AS-15) に移送された。移送終えるとスナッパー救助任務継続すべくトラック近海戻ったスナッパー帰途マジュロ寄港した7月21日スナッパー56日間行動終えて真珠湾帰投した。 9月5日スナッパー11回目哨戒小笠原諸島方面向かった10月1日スナッパー北緯2820東経13925分 / 北緯28.333度 東経139.417度 / 28.333; 139.417の地点護衛艦によって護衛された2隻の輸送船団発見したスナッパー大型目標に対して前部発射管魚雷発射し小型目標向けて魚雷発射した魚雷海軍徴傭船盛安丸(川崎汽船、1,900トン)と敷設艇網代命中し両方とも撃沈したその後硫黄島沖で救助任務10月18日まで行った10月27日スナッパー52日間行動終えてミッドウェー島帰投。これがスナッパー最後哨戒となった

※この「第10、第11の哨戒 1944年5月 - 1944年10月」の解説は、「スナッパー (潜水艦)」の解説の一部です。
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