第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 12月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 14:30 UTC 版)
「サーゴ (潜水艦)」の記事における「第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 12月」の解説
1944年1月26日、サーゴは10回目の哨戒でパラオ方面に向かった。2月17日夜、サーゴは北緯08度50分 東経135度40分 / 北緯8.833度 東経135.667度 / 8.833; 135.667のコッソル水道北東海域でパラオに向かう第7205船団を発見し、特設給兵船日朗丸(日産汽船、6,534トン)を撃沈して給油艦佐多を撃破した。2月29日夜にはパラオ西水道沖で陸軍輸送船打出丸(大平汽船、5,286トン)に魚雷を命中させ、打出丸は翌日沈没した。3月12日、サーゴは46日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。修理のため真珠湾に回航された。 4月7日、サーゴは11回目の哨戒で日本近海に向かった。九州、四国、本州の南岸を哨戒。4月26日朝、サーゴは北緯33度31分 東経135度24分 / 北緯33.517度 東経135.400度 / 33.517; 135.400の大阪湾の入り口、紀伊水道市江崎沖で海軍徴傭船和山丸(大東商船、4,851トン)に魚雷2本を命中させて撃沈した。護衛の駆逐艦旗風は陸岸近くを航行しており反撃に対応できず、追撃の航空機も強風に妨げられて攻撃しきれなかった。4月29日には北緯33度04分 東経136度17分 / 北緯33.067度 東経136.283度 / 33.067; 136.283の地点で若竹型駆逐艦とも思しき艦艇に対して魚雷を2本発射したが、命中しなかった。5月9日未明にも北緯33度13分 東経140度34分 / 北緯33.217度 東経140.567度 / 33.217; 140.567の八丈島近海で輸送船団を発見して輸送船に対して魚雷を4本発射するも、これも命中しなかった。5月26日、サーゴは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投。その後本国西海岸に向けて出航、メア・アイランド海軍造船所で大規模オーバーホールが行われた。作業完了後、9月にハワイに戻った。 10月13日、サーゴは12回目の哨戒で小笠原諸島および琉球諸島方面に向かった。10月25日、サーゴは北緯29度53分 東経149度06分 / 北緯29.883度 東経149.100度 / 29.883; 149.100の地点で、5インチ砲および機銃によって特設監視艇第十三南進丸(西大洋漁業、85トン)と交戦。11月10日夜には、北緯28度32分 東経131度09分 / 北緯28.533度 東経131.150度 / 28.533; 131.150の地点でこの哨戒で唯一の雷撃が行われる。新型の対潜艦艇と思しき艦船に対して魚雷を4本発射するが、命中しなかった。12月7日、サーゴは53日間の行動を終えてマジュロに帰投。これがサーゴの最後の哨戒となった。
※この「第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 12月」の解説は、「サーゴ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 12月」を含む「サーゴ (潜水艦)」の記事については、「サーゴ (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 12月のページへのリンク