第10、第11、第12、第13の哨戒 1943年12月 - 1944年10月
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12月16日、ガーは10回目の哨戒でパラオ方面に向かった。1944年1月20日、ガーはパラオ沖で陸軍船広祐丸(広海汽船、5,324トン)を撃沈。2日後の1月22日にはパラオ沖で3番目の輸送船団を発見し、海軍徴傭船泰安丸(日本海汽船、3,670トン)を撃沈した。2月9日、ガーは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 3月3日、ガーは11回目の哨戒でパラオ方面に向かった。この哨戒では、パラオに対する第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の空襲に対する支援を命じられており、ガーは日本軍の防御砲火の射程内にある海岸で倒れていた8名のパイロットを救助した。4月21日、ガーは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 5月20日、ガーは12回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。この哨戒では、6月9日に北緯24度35分 東経141度38分 / 北緯24.583度 東経141.633度 / 24.583; 141.633の地点で日本の海上トラックの船団を攻撃し、少なくとも1隻を炎上させた。6月28日にも北緯25度50分 東経143度05分 / 北緯25.833度 東経143.083度 / 25.833; 143.083の地点で800トンから1,000トン程度の船舶に対して砲撃を行った。7月9日、ガーは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がモーリス・フェラーラ少佐(アナポリス1937年組)に代わった。 8月14日、ガーは13回目の哨戒でパラオ、ヤップ島方面に向かった。この哨戒では、ヤップ島近海で救助任務にあたった。9月7日にはヤップ島の施設を砲撃し、その後はスリガオ海峡方面に移動して哨戒した。9月29日には北緯03度30分 東経126度12分 / 北緯3.500度 東経126.200度 / 3.500; 126.200の地点で小型船を発見し、機銃掃射で撃沈した。10月9日、ガーは54日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
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