第10、第11、第12の哨戒 1943年12月 - 1944年7月
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「ソードフィッシュ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第10、第11、第12の哨戒 1943年12月 - 1944年7月」の解説
12月26日、ソードフィッシュは10回目の哨戒で日本近海に向かった。哨戒海域に到着して哨戒を開始。1944年1月13日、ソードフィッシュは藺灘波島近海で潜航中に爆撃を受けた。ソードフィッシュは爆発の振動で一時エンジンがストップし、音響兵器も損傷した。ソードフィッシュは反撃を切り抜け、修理ののち哨戒を続けた。同日夜になって輸送船団を発見し、追跡。翌1月14日になってすぐの0時35分に八丈島八重根湾で魚雷11本を発射。3本が(1本は不発)海軍徴傭船山国丸(山下汽船、6,921トン)に命中し、これを撃沈した。2日後の1月16日未明、ソードフィッシュは御蔵島近海で囮船として活動中の特設砲艦でりい丸(大阪商船、2,205トン)を発見し、魚雷を1本命中させた。でりい丸は前部亡失後、3時40分ごろに沈没していった。1月27日にも八丈島北方で特設砲艦笠置丸(日本郵船、3,140トン)に対して魚雷を2本発射し命中、これを撃沈した。2月7日、ソードフィッシュは40日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がケーツ・E・モントロス少佐(アナポリス1935年組)に代わった。 3月13日、ソードフィッシュは11回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。この哨戒では4月5日に輸送船団を発見し、3度にわたる攻撃を行って5,000トン級輸送船2隻に損害を与えたと評価されたが、いずれも撃沈は確認できなかった。4月29日、ソードフィッシュは46日間の行動を終えてマジュロに帰投した。 5月22日、ソードフィッシュは12回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。6月9日、ソードフィッシュは北緯27度14分 東経145度55分 / 北緯27.233度 東経145.917度 / 27.233; 145.917の父島近海で、サイパン島への増援部隊を載せた第3606船団を発見。水平線に浮かび上がった護衛の駆逐艦松風に対し、ソードフィッシュは前部発射管から魚雷4本を発射。2本を命中させ松風を撃沈した。松風を失った船団は父島に入港した。6月15日には北緯29度30分 東経141度07分 / 北緯29.500度 東経141.117度 / 29.500; 141.117の地点で、先の第3606船団に加入していた海軍徴傭船甘井子(かんせいし)丸(大連汽船、4,804トン)を撃沈した。6月26日と27日、30日にはトロール船あるいは特設監視艇を発見して砲撃したが、戦果を挙げられなかった。このうち6月30日の攻撃では、3インチ砲、20ミリ機銃の艦固有兵器のほかにトミーガンやBAR、スプリングフィールドM1903小銃なども使用された。7月9日、ソードフィッシュは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投。2度目のオーバーホールに入った。
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