第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 9月
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「プランジャー (SS-179)」の記事における「第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 9月」の解説
1944年1月13日、プランジャーは10回目の哨戒で日本近海に向かった。本州沖を哨戒したが、頻繁な爆雷攻撃を受けることとなった。しかしながら危険の中の行動は有益なものであった。2月2日、プランジャーは北緯33度32分 東経135度59分 / 北緯33.533度 東経135.983度 / 33.533; 135.983の地点で第8201船団を発見して攻撃し、貨物船第五東洋丸(澤山汽船、2,193トン)と貨物船第八東洋丸(澤山汽船、2,191トン)の2隻を撃沈。2月23日には鳥島近海で特設運送船君島丸(飯野海運、5,193トン)を撃沈した。3月8日、プランジャーは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がエドワード・J・フェーイ少佐(アナポリス1934年組)に代わった。 5月8日、プランジャーは11回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。しかし、この哨戒では浮遊機雷を1個発見した以外、大した事件は起こらなかった。6月30日、プランジャーは56日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 7月23日、プランジャーは12回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。8月13日、プランジャーは北緯08度07分 東経154度19分 / 北緯8.117度 東経154.317度 / 8.117; 154.317の地点で5,000トン級貨物船を発見して攻撃し、その撃沈を報じた。9月14日、プランジャーは51日間の行動を終えてブリスベンに帰投。これがプランジャーの最後の哨戒となった。
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