第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:09 UTC 版)

プランジャー (SS-179)」の記事における「第10、第11、第12の哨戒 1944年1月 - 9月」の解説

1944年1月13日プランジャー10回目哨戒日本近海向かった本州沖を哨戒したが、頻繁な爆雷攻撃を受けることとなったしかしながら危険の中の行動有益なものであった2月2日プランジャー北緯3332東経135度59分 / 北緯33.533度 東経135.983度 / 33.533; 135.983の地点で第8201船団発見して攻撃し貨物船第五東洋丸(澤山汽船、2,193トン)と貨物船第八東洋丸(澤山汽船、2,191トン)の2隻を撃沈2月23日には鳥島近海特設運送船君島丸(飯野海運、5,193トン)を撃沈した3月8日プランジャー55日間行動終えて真珠湾帰投艦長エドワード・J・フェーイ少佐アナポリス1934年組)に代わった。 5月8日プランジャー11回目哨戒小笠原諸島方面向かった。しかし、この哨戒では浮遊機雷を1個発見した以外、大した事件は起こらなかった。6月30日プランジャー56日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 7月23日プランジャー12回目哨戒トラック諸島方面向かった8月13日プランジャー北緯0807東経15419分 / 北緯8.117度 東経154.317度 / 8.117; 154.317の地点で5,000トン貨物船発見して攻撃し、その撃沈報じた9月14日プランジャー51日間行動終えてブリスベン帰投。これがプランジャー最後哨戒となった

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