第10、第11の哨戒 1945年1月 - 4月
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「サンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第10、第11の哨戒 1945年1月 - 4月」の解説
1945年1月15日、サンフィッシュは10回目の哨戒で東シナ海、黄海方面に向かった。しかし、2月20日に北緯38度16分 東経124度29分 / 北緯38.267度 東経124.483度 / 38.267; 124.483の地点で1,000トン級輸送船を発見して潜望鏡を操作していたところ、浮氷に接触して2本とも損傷したため哨戒を打ち切った。2月27日、サンフィッシュは37日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。艦長がジョン・W・リード少佐(アナポリス1938年組)に代わった。 3月31日、サンフィッシュは11回目の哨戒で日本近海に向かった。大湊に出入りする艦船の動向を監視していたが、4月9日に艦体にダメージを受ける。この日、サンフィッシュは北緯39度27分 東経142度05分 / 北緯39.450度 東経142.083度 / 39.450; 142.083の地点で近在の僚艦パーチー (USS Parche, SS-384) とともに艦船に接敵していたが、パーチーが第3号掃海艇を撃沈したのに続いてサンフィッシュは6,000トンから8,000トン級輸送船に対して魚雷を4本発射し、1本を目標に命中させたが、反撃を受けて備砲を損傷した。ダメージは大したことはなく、応急修理でしのいだ。4月14日には北緯41度48分 東経141度13分 / 北緯41.800度 東経141.217度 / 41.800; 141.217の地点で2,000トン級輸送船を発見し、魚雷3本を発射したが命中しなかった。4月16日、サンフィッシュは北緯39度36分 東経142度05分 / 北緯39.600度 東経142.083度 / 39.600; 142.083の岩手県魹ヶ崎沖で小輸送船団を発見し、魚雷を6本発射。この攻撃で第73号海防艦と輸送船萬龍丸(拿捕船、元オランダ船バルウック、1,623トン)を撃沈した。3日後の4月19日未明には、北緯42度09分 東経142度20分 / 北緯42.150度 東経142.333度 / 42.150; 142.333の厚賀沖で、千島列島から北海道に移動する陸軍部隊を輸送中の特設砲艦快鳳丸(農林省、1,093トン。元特務艦剣崎)と輸送船大誠丸(大阪商船、1,948トン)の2隻を発見し、魚雷を6本と4本の計10本発射して両船に命中させた。三度目の攻撃で、止めに魚雷を1本だけ発射したものの、目標が停止していたにもかかわらず命中しなかった。しかし、目標は2隻とも沈没した。4月28日、サンフィッシュは29日間の行動を終えて真珠湾に帰投。2日後にメア・アイランド海軍造船所に向けて回航された。その後、同造船所で5月7日から7月31日までの間オーバーホールを受け、8月9日に真珠湾へ再び戻る。8月15日の終戦時、サンフィッシュは新たな哨戒の準備中であった。
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