第1の哨戒 1945年1月 - 3月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1945年1月 - 3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/08 06:19 UTC 版)

パイパー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1945年1月 - 3月」の解説

1945年1月25日パイパー最初哨戒ボーフィン (USS Bowfin, SS-287)、ポンフレット (USS Pomfret, SS-391)、スターレット (USS Sterlet, SS-392)、トレパン (USS Trepang, SS-412) とウルフパック「マックズ・モップス Mac's Mops」を構成し小笠原諸島方面向かった。この哨戒では、この方面にある特設監視艇群を蹴散らして来るべき硫黄島の戦い支援する第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)やB-29などへの手助けをする任務与えられており、この任務にはもう一つウルフパック、ラガート (USS Lagarto, SS-371)、ハダック (USS Haddock, SS-231)、セネット (USS Sennet, SS-408) の「ラタズ・ランサーズ Latta’s Lancers」も従事していた。「マックズ・モップス」はサイパン島寄港の後、2月10日硫黄島近海担当海域到着2月13日までの最初3日間は何も発見できなかった。パイパー3月24日までの間、本州南方B-29への支援監視艇探索任務交互に実施2月25日夜、パイパー北緯3406東経13828分 / 北緯34.100度 東経138.467度 / 34.100; 138.467の地点で2隻の船舶発見し、2,000トン級の船を浮上雷撃により撃沈した判断した。しかし、実際に撃沈したのは特設監視艇第三松丸吉川広之、111トンであった哨戒最後4日間は、九州沖航空戦大破し曳航されている空母フランクリン (USS Franklin, CV-13) への支援従事した3月30日パイパー60日間行動終えてミッドウェー島帰投した。

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第1の哨戒 1945年1月 - 3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/14 05:03 UTC 版)

ラガート (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1945年1月 - 3月」の解説

1月24日、ラガートは最初哨戒ハダック (USS Haddock, SS-231) とともに小笠原諸島方面向かった駆潜艇 PC-486護衛受けて真珠湾出航し2月5日歩兵上陸用舟艇 LCI-677の出迎え受けてサイパン島タナパグ港到着アングラー (USS Angler, SS-240) と並んで潜水母艦フルトン (USS Fulton, AS-11) に横付けした。しかし、翌2月6日自動車事故起き、ラガート乗組の2人ベテラン将校であるウォルター・R・ショーアレン・G・ブレウィントンと潜水隊司令ジョン・P・ローチ、およびアナポリス時代級友らが大怪我負った。この事故により、潜水隊司令ウォルター・B・フェルプスに代わった。また、ショーとブレヴィントンもラガートから退艦したが、ショーはこの怪我原因数日後他界した2月7日、ラガートはハダックセネット (USS Sennet, SS-408) とウルフパック「ラタズ・ランサーズ Latta’s Lancers 」を構成し出撃。この哨戒では、この方面にある特設監視艇群を蹴散らして来るべき硫黄島の戦い支援する第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)やB-29などへの手助けをする任務与えられていた。2月8日、ラガートにショー訃報もたらされた。ラタ悲しみにくれつつも任務遂行する旨、潜水隊司令報告した2月11日、ラガートは自艦の哨区に到着し任務開始。翌2月12日、ラガートのレーダー何らかの目標探知。これは先にB-29から警告されていた目標思われた。ハダックレーダー目標探知し追跡開始した。ラガートとハダックは西航し、やがてセネット合流して目標追い続けた2月13日早朝、ラガートらのウルフパック漂泊していた特設監視艇発見し攻撃。ラガートを中心にハダックセネット包囲態勢作り6時20分に特設監視艇第八事代丸(寺本正市109トン)と第三昭和丸(籠尾兼吉、76トン)に一方的な戦い行った。2隻の監視艇必死反撃打って出たが全く勝負にならず、あっけなく撃沈された。ウルフパック残骸脱出した乗組員銃撃した後、更なる獲物求めた途中一式陸攻発見され潜航余儀なくされたが、被害はなかった。再浮上の後、新たな特設監視艇発見巧みに接近し、翌2月14日夜明け攻撃。あいにくの曇天だったが、5,100メートルの距離から射撃攻撃され特設監視艇第三感応丸(佐野信太郎、98トン)の抵抗前日のものより激しく攻撃したラガートらのウルフパック抵抗に手を焼きハダック至って小物相手ながら魚雷1本を発射。しかし、これは命中しなかった。やがて機銃弾を使い果たしたので7時ごろにこの海域去ったその後豊後水道方面新しい哨区に向かった2月24日11時ごろ、ラガートは北緯3241東経13236分 / 北緯32.683度 東経132.600度 / 32.683; 132.600の沖の島近海で呂型潜水艦思しき艦船発見し態勢整えて1118分に魚雷4本を発射魚雷目標命中し目標海中何度も爆発しながら沈んでいった。この事からアメリカ側では、この艦船1月31日メレヨン島から日本向けて航行していた伊371であろうとしている。しかし、実際にラガートが撃沈したのは辰丸(辰馬汽船880トン)だった。この後哨戒荒天の影響もあり、何隻かの特設監視艇遭遇した以外は実りのないものとなった3月14日ハダック合流し3月20日55日間行動終えてスービック湾帰投潜水母艦ハワード・W・ギルモア (USS Howard W. Gilmore, AS-16) による整備受けた

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