第1の哨戒、1944年8月 - 10月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒、1944年8月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 16:14 UTC 版)

クイーンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒、1944年8月 - 10月」の解説

8月4日クイーンフィッシュ最初哨戒で、バーブ (USS Barb, SS-220) 、タニー (USS Tunny, SS-282) とウルフパックエドインク消し Ed's Eradicators」を組んでルソン海峡方面向かったウルフパック指揮官ユージーン・B・フラッキー艦長指揮バーブ座乗したエドウィン・R・スウィンバーンであった8月31日、(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯2124東経12104分 / 北緯21.400度 東経121.067度 / 21.400; 121.067) の鵝鑾鼻南南東海域タニーが、南下してくるミ15船団発見しクイーンフィッシュもこれに続いた未明クイーンフィッシュ応急タンカー千代田丸(日本郵船、4,701トンに対して魚雷を6本発射魚雷千代田丸の右舷に4本が命中し千代田丸は全船炎上ののち3時35分に沈没した。続く第二撃では、タンカー力行丸(日本油槽船、9,181トン)に魚雷3本命中させたが、力行丸は沈没逃れた。翌9月1日タニーヒ船団一つのヒ73船団攻撃した際、空母雲鷹機の爆撃を受け損傷し哨戒打ち切って戦線離脱クイーンフィッシュ残ったバーブとともに哨戒続けた9月9日未明には、バタン諸島海域南下するタマ25船団発見し貨客船豊岡丸(鏑木汽船、7,097トン)に魚雷命中させて撃沈続いて輸送船満州丸日本海汽船、3,054トン)に魚雷3本命中させて撃沈した9月12日海南島のはるか東方ヒ72船団攻撃され、何隻かの沈没出た撃沈された船舶中には連合軍捕虜満載していた楽洋丸(南洋海運、9,418トン)も含まれていた。日本軍自軍生存者救助したものの、2,100名のイギリスおよびオーストラリア捕虜救助は行わなかったか、楽洋丸とともに沈めてしまった。太平洋潜水艦隊司令部隊に対して海上漂流する捕虜救助命じクイーンフィッシュバーブウルフパックにも救助命じられた。9月14日13時ごろ、クイーンフィッシュ見張りはいかだを発見近寄ってみると、いかだの内外大勢人間しがみついていた。ほとんどは弱っており、クイーンフィッシュから投げられロープにつかまる気力すらなかった。そこで、クイーンフィッシュ士官水兵らは自ら飛び込んで彼らを救助し艦上引き上げた。彼らは言うまでもなく、楽洋丸から放り出され捕虜たちだった。乗組員救助した捕虜18名に看護洗浄食料手厚くもてなした。にもかかわらず、2名のオーストラリア兵とイギリス兵は息を引き取り水葬の礼で葬られた。ウルフパック全体では127名を救助した台風接近したため、クイーンフィッシュ哨戒終了した10月3日クイーンフィッシュ59日間行動終えてマジュロ環礁帰投捕虜救助の功に対し大統領特別感状が授けられた。

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第1の哨戒 1944年8月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 15:31 UTC 版)

スキャバードフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年8月 - 10月」の解説

8月17日、スキャバードフィッシュは最初哨戒南西諸島方面向かったミッドウェー島給油行った後、哨戒海域到着8月31日、スキャバードフィッシュは最初敵船発見した。それは2隻の護衛艦従えた島間汽船であった。スキャバードフィッシュは放射状3本ずつ魚雷2度発射した命中することはなかった。護衛艦による爆雷攻撃凌いだ後、スキャバードフィッシュは浮上し西方向けて哨戒継続した9月19日9時15分ごろ、スキャバードフィッシュは那覇北西方潜水母艦迅鯨に対して魚雷2本を命中させ損傷与え航行不能に陥らせた。さらに千鳥型水雷艇思われる艦艇に対して攻撃行ったがそれは失敗した。スキャバードフィッシュは3時間の爆雷攻撃を受けることとなったが、損害はなかった。哨戒残り戦果挙げることができなかった。10月12日、スキャバードフィッシュは56日間行動終えてミッドウェー島帰投した。2週間後、スキャバードフィッシュはさらなる命令備えるべく、前進基地設置されていたサイパン島回航された。

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第1の哨戒 1944年8月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:40 UTC 版)

ベクーナ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年8月 - 10月」の解説

8月23日、ベクーナは最初哨戒南シナ海向かった10月8日未明、ベクーナは北緯14度12東経11553分 / 北緯14.200度 東経115.883度 / 14.200; 115.883の地点でヒ76船団発見し、元特設水上機母艦君川丸川崎汽船、6,863トン)に魚雷1本を命中させ、撃沈こそ出来なかったものの君川丸船団から脱落させた。翌10月9日には、北緯12度45分 東経11800分 / 北緯12.750度 東経118.000度 / 12.750; 118.000のパラワン島北西海域でミ19船団発見タンカーさんるいす丸(三菱汽船、7,268トン)の船首魚雷命中させる(ただし沈没には至らなかった)。続けさまホークビル (USS Hawkbill, SS-366) と共同で、北緯12度43東経11805分 / 北緯12.717度 東経118.083度 / 12.717; 118.083の地点応急タンカー徳和丸(日東汽船、1,943トン)を撃沈した10月18日、ベクーナは56日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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