第1の哨戒 1944年5月 - 8月 マリアナ沖海戦
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「カヴァラ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年5月 - 8月 マリアナ沖海戦」の解説
5月31日、カヴァラは最初の哨戒でフィリピン海に向かった。6月4日にミッドウェー島に立ち寄って給油し出港した後、6月9日にクジラと接触したが異常はなかった。6月11日に帰投中のボーフィン (USS Bowfin, SS-287) と会合した後、担当海域に到着した。 当時、マリアナ諸島に対するアメリカ軍の反攻作戦が行われつつあり、日本艦隊の出現が予想された。そこで、アメリカ軍は日本艦隊の予想進路上に潜水艦を多数配備し、動向をつかもうとした。カヴァラもそうした1隻として参加したのである。その最中、6月13日にレッドフィン (USS Redfin, SS-272) が小沢治三郎中将麾下の第一機動艦隊以下日本艦隊のタウィタウィ出撃を打電し、太平洋艦隊潜水艦部隊司令部は艦隊の予想進路上にある潜水艦に、予想海域に向かうよう下令した。続いてフライングフィッシュ (USS Flying Fish, SS-229) がサンベルナルジノ海峡で第一機動艦隊を、シーホース (USS Seahorse, SS-304) が戦艦大和、武蔵などの艦隊をそれぞれ発見し、これらの情報を元に潜水艦がマリアナ諸島西方海面に集まってくる。 6月16日も終わろうとする23時3分、サンベルナルジノ海峡の方向に向かっていたカヴァラのレーダーに4つの点が浮かび上がった。これは第一機動艦隊に合流すべく航行中だった、特設運送船(給油)あづさ丸(石原汽船、10,022トン)と玄洋丸(浅野物産、10,018トン)、駆逐艦雪風、浦風からなる第二補給部隊であり、とりあえずカヴァラは第二補給部隊を追跡することとし、距離を約15,000メートル置いて15ノットの速力でこの目標を追跡した。翌6月17日3時40分になって、カヴァラは第二補給部隊を攻撃すべく接近しようとしたところ駆逐艦の反撃を受け、避退を余儀なくされた。5時ごろに浮上したが何も見えず、とりあえず司令部に「タンカー部隊発見」と報告し、7時4分に司令部からの「タンカーの追跡を続けよ」との返事を得て追跡を続行した。その結果、6月17日20時過ぎになって、カヴァラはついに推定19ノットで航行する第一機動艦隊と接触することに成功した。この時点では攻撃より報告が優先されていたため、カヴァラは潜航して第一機動艦隊をやりすごした後、22時45分にカヴァラは浮上し「15隻以上の戦闘艦発見」と打電した。司令部では翌6月18日8時に、この近辺にいた潜水艦に「カヴァラが発見した地点を目標に、日本艦隊との接触を試みよ」「攻撃を第一に。報告はその次でよい」との指令を出した。この指令を受けた潜水艦の中には、大鳳を撃沈することとなるアルバコア (USS Albacore, SS-218) もいた。 打電後もカヴァラは、一時潜航することもあったが19ノットの速力で依然第一機動艦隊の触接を続け、6月19日早朝、第一機動艦隊の本隊である甲部隊に追いついた。そして11時18分、カヴァラは艦隊攻撃を行う絶好のポジションを得た。「艦橋にベッドのスプリング状のもの(二一号電探)をつけて、マストに大きな旗(軍艦旗)をはためかせていた」日本海軍の空母翔鶴の右舷側に対し、魚雷設定深度を4.5メートルに調整し、距離約1,100メートルから魚雷6本を発射。直ちに深深度潜航に移った。やがて3発の命中音が聞こえてきたが、この後には駆逐艦からの3時間に及ぶ爆雷攻撃が待ち受けていた。カヴァラは100発以上もの爆雷に見舞われたが難を逃れ、夕方に浮上した。海戦後、カヴァラはルソン島方面を行動し、7月1日には機銃に人員を配置して銃火鳴り止まぬサイパン島に接近し、給油艦スアミコ(英語版) (USS Suamico, AO-49) に横付けして燃料を補給した。燃料補給後は再びルソン島近海で行動し、7月18日午後には、北緯16度02分 東経123度00分 / 北緯16.033度 東経123.000度 / 16.033; 123.000の地点で50トン級サンパンを発見し、浮上砲戦で撃沈した。8月3日、カヴァラは64日間の行動を終えてマジュロに帰投した。北緯11度50分 東経137度57分 / 北緯11.833度 東経137.950度 / 11.833; 137.950の地点で翔鶴が4発の魚雷を食らって沈没したことは、少し遅れてから司令部が日本側の暗号を解読して判明した。カヴァラのコスラー艦長には、太平洋艦隊司令部の暗号担当班から心づくしのスコッチ・ウイスキーが贈られる話もあったが、ボツになった。
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