第1の哨戒 1944年5月 - 8月 マリアナ沖海戦とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1944年5月 - 8月 マリアナ沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 18:29 UTC 版)

カヴァラ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年5月 - 8月 マリアナ沖海戦」の解説

5月31日カヴァラ最初哨戒フィリピン海向かった6月4日ミッドウェー島立ち寄って給油し出港した後、6月9日クジラ接触したが異常はなかった。6月11日帰投中のボーフィン (USS Bowfin, SS-287) と会合した後、担当海域到着した当時マリアナ諸島対すアメリカ軍反攻作戦が行われつつあり、日本艦隊出現予想された。そこで、アメリカ軍日本艦隊予想進路上に潜水艦多数配備し動向つかもうとした。カヴァラそうした1隻として参加したのである。その最中6月13日にレッドフィン (USS Redfin, SS-272) が小沢治三郎中将麾下第一機動艦隊下日本艦隊のタウィタウィ出撃打電し太平洋艦隊潜水艦部隊司令部艦隊予想進路上にある潜水艦に、予想海域に向かうよう下令した。続いてフライングフィッシュ (USS Flying Fish, SS-229) がサンベルナルジノ海峡第一機動艦隊を、シーホース (USS Seahorse, SS-304) が戦艦大和武蔵などの艦隊それぞれ発見し、これらの情報元に潜水艦マリアナ諸島西方海面集まってくる。 6月16日終わろうとする23時3分、サンベルナルジノ海峡方向向かっていたカヴァラレーダー4つの点が浮かび上がった。これは第一機動艦隊合流すべく航行中だった、特設運送船給油)あづさ丸(石原汽船10,022トン)と玄洋丸(浅野物産10,018トン)、駆逐艦雪風浦風からなる第二補給部隊であり、とりあえカヴァラ第二補給部隊追跡することとし、距離を約15,000メートル置いて15ノット速力でこの目標追跡した。翌6月17日3時40になってカヴァラ第二補給部隊攻撃すべく接近しようとしたところ駆逐艦反撃を受け、避退余儀なくされた。5時ごろに浮上したが何も見えずとりあえ司令部に「タンカー部隊発見」と報告し7時4分に司令部からの「タンカー追跡続けよ」との返事得て追跡続行したその結果6月17日20時過ぎになってカヴァラはついに推定19ノット航行する第一機動艦隊接触することに成功した。この時点では攻撃より報告優先されていたため、カヴァラ潜航し第一機動艦隊をやりすごした後、2245分カヴァラ浮上し15隻以上の戦闘艦発見」と打電した司令部では翌6月18日8時に、この近辺にいた潜水艦に「カヴァラ発見した地点目標に、日本艦隊との接触試みよ」「攻撃第一に報告はその次でよい」との指令出した。この指令受けた潜水艦中には大鳳撃沈することとなるアルバコア (USS Albacore, SS-218) もいた。 打電後もカヴァラは、一時潜航することもあったが19ノット速力依然第一機動艦隊触接続け6月19日早朝第一機動艦隊本隊である甲部隊追いついた。そして1118分、カヴァラ艦隊攻撃を行う絶好ポジション得た。「艦橋ベッドスプリング状のもの(二一電探)をつけて、マスト大きな旗(軍艦旗)をはためかせていた」日本海軍空母翔鶴右舷側に対し魚雷設定深度4.5メートル調整し、距離約1,100メートルから魚雷6本を発射直ち深深潜航移った。やがて3発の命中音が聞こえてきたが、この後には駆逐艦からの3時間に及ぶ爆雷攻撃待ち受けていた。カヴァラ100発以上もの爆雷見舞われたが難を逃れ夕方浮上した海戦後カヴァラルソン島方面行動し7月1日には機銃人員配置して銃火鳴り止まぬサイパン島接近し給油艦スアミコ(英語版) (USS Suamico, AO-49) に横付けして燃料補給した燃料補給後は再びルソン島近海行動し7月18日午後には、北緯1602東経12300分 / 北緯16.033度 東経123.000度 / 16.033; 123.000の地点50トンサンパン発見し浮上砲戦撃沈した8月3日カヴァラ64日間行動終えてマジュロ帰投した。北緯11度50東経13757分 / 北緯11.833度 東経137.950度 / 11.833; 137.950の地点翔鶴が4発の魚雷食らって沈没したことは、少し遅れてから司令部日本側の暗号解読して判明したカヴァラのコスラー艦長には、太平洋艦隊司令部暗号担当班から心づくしスコッチ・ウイスキー贈られる話もあったが、ボツになった

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