第1の哨戒 1944年12月 - 1945年2月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1944年12月 - 1945年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/03 09:26 UTC 版)

スレッドフィン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年12月 - 1945年2月」の解説

12月25日スレッドフィン最初哨戒日本近海向かった1945年初頭九州南部指定され哨戒海域到達するスレッドフィンは同海域30日間哨戒期間を過ごし数多く敵機警備艇漁船遭遇したのち、魚雷仕留める値する6つ目標遭遇した1月30日スレッドフィン大型哨戒艦艇発見したが、これをやりすごして別の目標を狙うこととした。やがて、北緯3330東経135度34分 / 北緯33.500度 東経135.567度 / 33.500; 135.567の地点で、2隻の護衛艦と直衛機を伴った2,000トンクラスの貨物船発見し、2,700メートルの距離から魚雷6本を発射した少なくとも1本が命中し致命的な損害与え、煙と蒸気生じた。しかし、護衛艦反撃打って出たのでスレッドフィン深深潜航避退するしかなかった。反撃大したことはなかったが、戦果確認することは出来なかった。この目標一星丸(扶桑海運、1,864トンであった。翌1月31日正午前、スレッドフィン御蔵島沖を潜航中に哨戒機発見された。哨戒機爆撃したついでに父島から横須賀向かっていた4127船団護衛していた第4号海防艦誘導第4号海防艦爆雷攻撃行った深度90メートル潜んでいたスレッドフィンは、攻撃によって艦内入り込み深度135メートルまで沈んだが、それ以上被害はなかった。2月1日には呂型潜水艦思われる艦艇発見したが、有利の攻撃態勢を取ることができず逃してしまった。また、3隻の護衛艦伴った2隻の沿岸貨物船発見したものの、またもや有利の攻撃態勢取れず攻撃することはできなかった。翌日にも貨物船哨戒艦艇見間違えその結果、2隻の貨物船と2隻の護衛艦からなる輸送船団攻撃することが出来なかった。1週間後には掃海艇思われる艦艇対し、距離2,300メートルからよい態勢魚雷6本を発射したが、いずれも命中しなかった。2月16日スレッドフィン54日間行動終えてミッドウェー島帰投した。

※この「第1の哨戒 1944年12月 - 1945年2月」の解説は、「スレッドフィン (潜水艦)」の解説の一部です。
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