第1の哨戒 1944年12月 - 1945年2月
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「スレッドフィン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年12月 - 1945年2月」の解説
12月25日、スレッドフィンは最初の哨戒で日本近海に向かった。1945年初頭に九州南部の指定された哨戒海域に到達する。スレッドフィンは同海域で30日間の哨戒期間を過ごし、数多くの敵機、警備艇、漁船と遭遇したのち、魚雷で仕留めるに値する6つの目標と遭遇した。1月30日、スレッドフィンは大型の哨戒艦艇を発見したが、これをやりすごして別の目標を狙うこととした。やがて、北緯33度30分 東経135度34分 / 北緯33.500度 東経135.567度 / 33.500; 135.567の地点で、2隻の護衛艦と直衛機を伴った2,000トンクラスの貨物船を発見し、2,700メートルの距離から魚雷6本を発射した。少なくとも1本が命中し致命的な損害を与え、煙と蒸気が生じた。しかし、護衛艦が反撃に打って出たのでスレッドフィンは深深度潜航で避退するしかなかった。反撃は大したことはなかったが、戦果を確認することは出来なかった。この目標は一星丸(扶桑海運、1,864トン)であった。翌1月31日正午前、スレッドフィンは御蔵島沖を潜航中に哨戒機に発見された。哨戒機は爆撃したついでに父島から横須賀に向かっていた4127船団を護衛していた第4号海防艦を誘導、第4号海防艦は爆雷攻撃を行った。深度90メートルに潜んでいたスレッドフィンは、攻撃によって艦内に水が入り込み深度135メートルまで沈んだが、それ以上の被害はなかった。2月1日には呂型潜水艦と思われる艦艇を発見したが、有利の攻撃態勢を取ることができず逃してしまった。また、3隻の護衛艦を伴った2隻の沿岸貨物船を発見したものの、またもや有利の攻撃態勢を取れず攻撃することはできなかった。翌日にも貨物船と哨戒艦艇を見間違え、その結果、2隻の貨物船と2隻の護衛艦からなる輸送船団に攻撃することが出来なかった。1週間後には掃海艇と思われる艦艇に対し、距離2,300メートルからよい態勢で魚雷6本を発射したが、いずれも命中しなかった。2月16日、スレッドフィンは54日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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