第1の哨戒 1943年9月 - 10月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1943年9月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:24 UTC 版)

ボーンフィッシュ (SS-223)」の記事における「第1の哨戒 1943年9月 - 10月」の解説

9月16日、ボーンフィッシュは最初哨戒でビルフィッシュ (USS Billfish, SS-286) およびボーフィン (USS Bowfin, SS-287) とウルフパック構成し南シナ海向かった9月22日バラバク海峡通過し南シナ海入った3日後の9月25日朝、ボーンフィッシュは二列縦隊輸送船5隻と、1隻の護衛艦配する輸送船団発見する。この輸送船団、サ12船団にはボーフィンとビルフィッシュも取り付いており、午後に入ってからの攻撃で、ボーフィン特設運送船給油応急タンカー霧島丸(国際汽船、8,267トン)を撃沈しその後もビルフィッシュとともに追撃続けていた。ボーンフィッシュは夜に入ってから、爆雷攻撃による制圧深深潜航に移る前に北緯10度58東経11239分 / 北緯10.967度 東経112.650度 / 10.967; 112.650の地点特務艦足摺に対して魚雷を4本発射し3つの爆発確認する実際に被害はなく、ビルフィッシュもタンカー誠心丸(日本油槽船、5,239トンに対して魚雷を5本発射して1本の命中報告したが、実際に命中していなかった。2日後9月27日未明、ボーンフィッシュは北緯10度30東経10942分 / 北緯10.500度 東経109.700度 / 10.500; 109.700のカムラン湾近海で、シンガポール向かっていた第324船団発見。第324船団側もボーンフィッシュを発見して船団各船は避退行動移っていたが、船団最大船舶であった輸送船鹿島丸(日本郵船、9,908トン)は全速力避退しつつあったところ、前を航行する応急タンカー千早丸(日本郵船、4,701トン)との距離がわずか約200メートルとなり、追突避けるため速力落としたその時北緯10度10東経10940分 / 北緯10.167度 東経109.667度 / 10.167; 109.667の地点至ったボーンフィッシュは、鹿島丸に向けて魚雷を4本発射魚雷は2本が鹿島丸の四番船倉五番船倉命中し鹿島丸は15程度沈没した船団中にあった輸送船第一興南丸(日本海洋漁業455トン)は、曳航していた特殊油槽船放り出して救助作業行いつつボーンフィッシュに迫ったが、ボーンフィッシュは逃げることが出来た10月6日朝には北緯12度22東経10930分 / 北緯12.367度 東経109.500度 / 12.367; 109.500の地点3つ目の輸送船団発見して魚雷を6本発射し、2隻の大型輸送船魚雷命中させたようだ判断された。しかし、この時も実際には、第431船団加入してサンジャックから高雄に向かう途中輸送船対馬丸日本郵船、6,754トン)に魚雷向かっていったものの、6本のうちの3本対馬丸船底通過していっただけだった10月7日夜に北緯13度24東経11305分 / 北緯13.400度 東経113.083度 / 13.400; 113.083の地点輸送船岳陽丸に対して魚雷を6本発射したが、命中しなかった。10月10日午前、ボーンフィッシュは北緯14度32東経110度18分 / 北緯14.533度 東経110.300度 / 14.533; 110.300のカムラン湾北東約110キロ海域高雄向かっていた第432船団発見する。ボーンフィッシュは後方から第432船団迫り北緯14度44東経110度16分 / 北緯14.733度 東経110.267度 / 14.733; 110.267に至った所で距離2,400メートルから魚雷を4本を発射。うち2本が輸送船五十鈴川丸(東洋海運、4,214トン)に命中して撃沈し五十鈴川被雷見て40度に回頭して魚雷避けようとしていた輸送船帝美丸(帝国船舶、元フランス船 Bernardin Saint-Pierre /大阪商船委託10,085トン)にも2本命中。うち左舷後部命中した1本は不発だったが、船尾命中した魚雷による被害甚だしく15時21分に沈没した10月14日夕刻には、北緯0010東経11915分 / 北緯0.167度 東経119.250度 / 0.167; 119.250の地点で2本マスト10トンスクーナー発見し、2基の20ミリ機銃掃射撃沈した10月21日、ボーンフィッシュは45日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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第1の哨戒 1943年9月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:41 UTC 版)

スケート (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年9月 - 10月」の解説

9月25日スケート最初哨戒ウェーク島方面向かったスケート任務は、日本軍によって保持されウェーク島対す空襲部隊救助任務であった10月6日夜明けスケート救命筏からパイロット救助中に艦載機迎撃のため飛来してきた零戦による機銃掃射を受け、士官1名が致命的な傷を負うスケート司令塔などに3発被弾したが、致命的な損傷とはならなかった。翌日スケート海岸から5,000ヤードの距離に近づき、敵による激し砲撃の中パイロット2名を救助した3人目パイロット捜索中急降下爆撃機による攻撃を受け、回避するための潜航強いられたミッドウェー島に一旦帰投した後、再びウェーク島向かいパイロット救助任務行った10月28日スケート31日間の行動終えてミッドウェー島帰投した。

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