第1の哨戒 1943年9月 - 10月
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「ボーンフィッシュ (SS-223)」の記事における「第1の哨戒 1943年9月 - 10月」の解説
9月16日、ボーンフィッシュは最初の哨戒でビルフィッシュ (USS Billfish, SS-286) およびボーフィン (USS Bowfin, SS-287) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。9月22日にバラバク海峡を通過し、南シナ海に入った。3日後の9月25日朝、ボーンフィッシュは二列縦隊の輸送船5隻と、1隻の護衛艦を配する輸送船団を発見する。この輸送船団、サ12船団にはボーフィンとビルフィッシュも取り付いており、午後に入ってからの攻撃で、ボーフィンは特設運送船(給油・応急タンカー)霧島丸(国際汽船、8,267トン)を撃沈し、その後もビルフィッシュとともに追撃を続けていた。ボーンフィッシュは夜に入ってから、爆雷攻撃による制圧で深深度潜航に移る前に北緯10度58分 東経112度39分 / 北緯10.967度 東経112.650度 / 10.967; 112.650の地点で特務艦足摺に対して魚雷を4本発射し、3つの爆発を確認するが実際には被害はなく、ビルフィッシュもタンカー誠心丸(日本油槽船、5,239トン)に対して魚雷を5本発射して1本の命中を報告したが、実際には命中していなかった。2日後の9月27日未明、ボーンフィッシュは北緯10度30分 東経109度42分 / 北緯10.500度 東経109.700度 / 10.500; 109.700のカムラン湾近海で、シンガポールに向かっていた第324船団を発見。第324船団側もボーンフィッシュを発見して船団各船は避退行動に移っていたが、船団最大の船舶であった輸送船鹿島丸(日本郵船、9,908トン)は全速力で避退しつつあったところ、前を航行する応急タンカー千早丸(日本郵船、4,701トン)との距離がわずか約200メートルとなり、追突を避けるため速力を落とした。その時、北緯10度10分 東経109度40分 / 北緯10.167度 東経109.667度 / 10.167; 109.667の地点に至ったボーンフィッシュは、鹿島丸に向けて魚雷を4本発射。魚雷は2本が鹿島丸の四番船倉と五番船倉に命中し、鹿島丸は15分程度で沈没した。船団中にあった輸送船第一興南丸(日本海洋漁業、455トン)は、曳航していた特殊油槽船を放り出して救助作業を行いつつボーンフィッシュに迫ったが、ボーンフィッシュは逃げることが出来た。10月6日朝には北緯12度22分 東経109度30分 / 北緯12.367度 東経109.500度 / 12.367; 109.500の地点で3つ目の輸送船団を発見して魚雷を6本発射し、2隻の大型輸送船に魚雷を命中させたようだと判断された。しかし、この時も実際には、第431船団に加入してサンジャックから高雄に向かう途中の輸送船対馬丸(日本郵船、6,754トン)に魚雷が向かっていったものの、6本のうちの3本が対馬丸の船底を通過していっただけだった。10月7日夜にも北緯13度24分 東経113度05分 / 北緯13.400度 東経113.083度 / 13.400; 113.083の地点で輸送船岳陽丸に対して魚雷を6本発射したが、命中しなかった。10月10日午前、ボーンフィッシュは北緯14度32分 東経110度18分 / 北緯14.533度 東経110.300度 / 14.533; 110.300のカムラン湾北東約110キロの海域で高雄に向かっていた第432船団を発見する。ボーンフィッシュは後方から第432船団に迫り、北緯14度44分 東経110度16分 / 北緯14.733度 東経110.267度 / 14.733; 110.267に至った所で距離2,400メートルから魚雷を4本を発射。うち2本が輸送船五十鈴川丸(東洋海運、4,214トン)に命中して撃沈し、五十鈴川丸被雷を見て40度に回頭して魚雷を避けようとしていた輸送船帝美丸(帝国船舶、元フランス船 Bernardin Saint-Pierre /大阪商船委託、10,085トン)にも2本命中。うち左舷後部に命中した1本は不発だったが、船尾に命中した魚雷による被害が甚だしく15時21分に沈没した。10月14日夕刻には、北緯00度10分 東経119度15分 / 北緯0.167度 東経119.250度 / 0.167; 119.250の地点で2本マストの10トン級スクーナーを発見し、2基の20ミリ機銃の掃射で撃沈した。10月21日、ボーンフィッシュは45日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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第1の哨戒 1943年9月 - 10月
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「スケート (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年9月 - 10月」の解説
9月25日、スケートは最初の哨戒でウェーク島方面に向かった。スケートの任務は、日本軍によって保持されたウェーク島に対する空襲部隊の救助任務であった。10月6日の夜明け、スケートは救命筏からパイロットを救助中に、艦載機迎撃のため飛来してきた零戦による機銃掃射を受け、士官1名が致命的な傷を負う。スケートは司令塔などに3発被弾したが、致命的な損傷とはならなかった。翌日スケートは海岸から5,000ヤードの距離に近づき、敵による激しい砲撃の中パイロット2名を救助した。3人目のパイロットを捜索中に急降下爆撃機による攻撃を受け、回避するための潜航を強いられた。ミッドウェー島に一旦帰投した後、再びウェーク島に向かいパイロットの救助任務を行った。10月28日、スケートは31日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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