第1の哨戒 1943年4月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1943年4月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:29 UTC 版)

スヌーク (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年4月 - 5月」の解説

4月11日スヌーク最初哨戒東シナ海および黄海方面向かった4月30日上海付近に機雷敷設行いその後北上して黄海中国沿岸巡航した5月5日スヌーク北緯38度39東経12248分 / 北緯38.650度 東経122.800度 / 38.650; 122.800の大連沖で2隻の輸送船発見し追跡を行う。スヌークは2隻を夕方まで追跡し魚雷3本発射輸送船錦江丸(朝鮮郵船、1,264トン)に魚雷命中させてこれを撃沈し、もう一隻輸送船大福丸大同海運、3,194トン)は錦江丸の運命知らず航行続けたが、沈みゆく錦江丸の乗員ホイッスル鳴らしたため敵の存在気づく大福丸回避運動始めスヌークから発射された計2本の魚雷回避したその後備砲砲撃をもってスヌークを一旦は射程外に追いやるスヌーク大福丸の頭を押さえ態勢取り3本魚雷発射。うち1本が船腹命中し大福丸北緯38度37東経12238分 / 北緯38.617度 東経122.633度 / 38.617; 122.633の地点沈没した5月7日未明スヌーク北緯3558東経12331分 / 北緯35.967度 東経123.517度 / 35.967; 123.517の地点輸送船団発見し接近追いついて良い態勢取ったスヌーク最初に魚雷を4本発射した魚雷輸送船東生丸(木原商船、4,363トン)に命中しこれを撃沈また、他にも何隻かに損傷与えた判断された。5月13日には北緯2244東経12830分 / 北緯22.733度 東経128.500度 / 22.733; 128.500の地点で2,000トン輸送船発見し魚雷を2本発射して1本を命中させて撃沈した判断される。また5月16日にも鳥島西方で2隻の武装トロール船破壊した5月23日スヌーク42日間行動終えてミッドウェー島帰投した。

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第1の哨戒 1943年4月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:30 UTC 版)

スコーピオン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年4月 - 5月」の解説

4月5日スコーピオン最初哨戒日本近海向かった4月19日那珂湊東方25マイルから35マイル沖合達し午後に海岸周辺調査実施して夜に機雷22敷設したその後通常の哨戒戻り、翌4月20日北緯3710東経14125分 / 北緯37.167度 東経141.417度 / 37.167; 141.417の金華山灯台沖で特設砲艦明治丸日之出汽船、1,934トン)を発見し魚雷3本発射して1本を命中させて撃沈した4月21日未明1時ごろには北緯3740東経14130分 / 北緯37.667度 東経141.500度 / 37.667; 141.500の地点浮上砲戦50トンサンパンを撃破続いて塩屋埼灯台周辺海岸航路哨戒4月22日夜に北緯3708東経14128分 / 北緯37.133度 東経141.467度 / 37.133; 141.467の地点中心に70トン級と50トン級の3隻のサンパン砲撃撃破した4月23日未明には北緯3703東経14211分 / 北緯37.050度 東経142.183度 / 37.050; 142.183の地点2つ目標護衛艦探知し魚雷を4本発射し、1本が7,500トン輸送船命中して損傷与えた判断された。その後金華山灯台近海引き続き哨戒したが、意外と獲物には恵まれなかった。しかし、4月27日朝に北緯38度08東経14303分 / 北緯38.133度 東経143.050度 / 38.133; 143.050の地点護衛艦がついた4隻の輸送船発見し魚雷を6本発射。最も大型輸送船勇山丸(山本汽船、6,380トン)に魚雷命中させ、攻撃後は深深潜航退避した。5時5分になって護衛艦爆雷攻撃行ったが、被雷した勇山丸救援のため程なく攻撃切り上げたスコーピオン軽微な損傷負ったのみで逃げ切り、勇山丸は沈没していった。4月28日帰還命令受領し4月29日には北緯38度00東経14730分 / 北緯38.000度 東経147.500度 / 38.000; 147.500の地点100トン小船発見し、3インチ砲と機銃炎上させた。4月30日早朝スコーピオン北緯3734東経15500分 / 北緯37.567度 東経155.000度 / 37.567; 155.000の南鳥島北方海域で、第二監視艇所属特設監視艇第五恵比寿丸(東海遠洋漁業131トン)を発見第五恵比寿丸は1942年5月10日にシルバーサイズ (USS Silversides, SS-236) と交戦して死傷者多く出しながらもシルバーサイズを追い散らした戦歴持っていた。第五恵比寿丸はスコーピオン方に突進し、約1時間あまり交戦第五恵比寿丸は搭載の7.7ミリ機銃機銃掃射し、9時24分にR・Mレイモンド少佐戦死。他にも負傷者出たスコーピオン北緯3720東経14950分 / 北緯37.333度 東経149.833度 / 37.333; 149.833の地点まで交戦した後、残っていた魚雷第五恵比寿丸に向けて発射し命中弾薬尽きていた第五恵比寿丸は「機械故障」の無電発した沈没したものと考えられる第五恵比寿丸と交戦した後、航空機出現したのでスコーピオン潜航し逃げ切った帰途スコーピオンミッドウェー島寄港5月8日スコーピオン33日間行動終えて真珠湾帰投した。スコーピオン整備により、備砲を3インチ砲から4インチ砲に換装した。

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