第1の哨戒 1943年4月 - 5月
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「スヌーク (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年4月 - 5月」の解説
4月11日、スヌークは最初の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。4月30日に上海付近に機雷敷設を行い、その後は北上して黄海の中国沿岸を巡航した。5月5日、スヌークは北緯38度39分 東経122度48分 / 北緯38.650度 東経122.800度 / 38.650; 122.800の大連沖で2隻の輸送船を発見し追跡を行う。スヌークは2隻を夕方まで追跡し、魚雷を3本発射。輸送船錦江丸(朝鮮郵船、1,264トン)に魚雷を命中させてこれを撃沈し、もう一隻の輸送船大福丸(大同海運、3,194トン)は錦江丸の運命を知らずに航行を続けたが、沈みゆく錦江丸の乗員がホイッスルを鳴らしたため敵の存在に気づく。大福丸は回避運動を始め、スヌークから発射された計2本の魚雷を回避した。その後備砲の砲撃をもってスヌークを一旦は射程外に追いやる。スヌークは大福丸の頭を押さえる態勢を取り、3本の魚雷を発射。うち1本が船腹に命中し大福丸は北緯38度37分 東経122度38分 / 北緯38.617度 東経122.633度 / 38.617; 122.633の地点で沈没した。5月7日未明、スヌークは北緯35度58分 東経123度31分 / 北緯35.967度 東経123.517度 / 35.967; 123.517の地点で輸送船団を発見し接近。追いついて良い態勢を取ったスヌークは最初に魚雷を4本発射した。魚雷は輸送船東生丸(木原商船、4,363トン)に命中しこれを撃沈。また、他にも何隻かに損傷を与えたと判断された。5月13日には北緯22度44分 東経128度30分 / 北緯22.733度 東経128.500度 / 22.733; 128.500の地点で2,000トン級輸送船を発見し、魚雷を2本発射して1本を命中させて撃沈したと判断される。また5月16日にも鳥島の西方で2隻の武装トロール船を破壊した。5月23日、スヌークは42日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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第1の哨戒 1943年4月 - 5月
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「スコーピオン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年4月 - 5月」の解説
4月5日、スコーピオンは最初の哨戒で日本近海に向かった。4月19日に那珂湊の東方25マイルから35マイルの沖合に達し、午後に海岸周辺の調査を実施して夜に機雷を22個敷設した。その後は通常の哨戒に戻り、翌4月20日に北緯37度10分 東経141度25分 / 北緯37.167度 東経141.417度 / 37.167; 141.417の金華山灯台沖で特設砲艦明治丸(日之出汽船、1,934トン)を発見し、魚雷を3本発射して1本を命中させて撃沈した。4月21日未明1時ごろには北緯37度40分 東経141度30分 / 北緯37.667度 東経141.500度 / 37.667; 141.500の地点で浮上砲戦で50トンサンパンを撃破。続いて塩屋埼灯台周辺の海岸や航路を哨戒。4月22日夜にも北緯37度08分 東経141度28分 / 北緯37.133度 東経141.467度 / 37.133; 141.467の地点を中心に70トン級と50トン級の3隻のサンパンを砲撃で撃破した。4月23日未明には北緯37度03分 東経142度11分 / 北緯37.050度 東経142.183度 / 37.050; 142.183の地点で2つの目標と護衛艦を探知し、魚雷を4本発射し、1本が7,500トン級輸送船に命中して損傷を与えたと判断された。その後も金華山灯台近海で引き続き哨戒したが、意外と獲物には恵まれなかった。しかし、4月27日朝に北緯38度08分 東経143度03分 / 北緯38.133度 東経143.050度 / 38.133; 143.050の地点で護衛艦がついた4隻の輸送船を発見し、魚雷を6本発射。最も大型の輸送船勇山丸(山本汽船、6,380トン)に魚雷を命中させ、攻撃後は深深度潜航で退避した。5時5分になって護衛艦が爆雷攻撃を行ったが、被雷した勇山丸救援のため程なく攻撃を切り上げた。スコーピオンは軽微な損傷を負ったのみで逃げ切り、勇山丸は沈没していった。4月28日に帰還命令を受領し、4月29日には北緯38度00分 東経147度30分 / 北緯38.000度 東経147.500度 / 38.000; 147.500の地点で100トンの小船を発見し、3インチ砲と機銃で炎上させた。4月30日早朝、スコーピオンは北緯37度34分 東経155度00分 / 北緯37.567度 東経155.000度 / 37.567; 155.000の南鳥島北方海域で、第二監視艇隊所属の特設監視艇第五恵比寿丸(東海遠洋漁業、131トン)を発見。第五恵比寿丸は1942年5月10日にシルバーサイズ (USS Silversides, SS-236) と交戦して、死傷者を多く出しながらもシルバーサイズを追い散らした戦歴を持っていた。第五恵比寿丸はスコーピオンの方に突進し、約1時間あまり交戦。第五恵比寿丸は搭載の7.7ミリ機銃で機銃掃射し、9時24分にR・M・レイモンド少佐が戦死。他にも負傷者が出た。スコーピオンは北緯37度20分 東経149度50分 / 北緯37.333度 東経149.833度 / 37.333; 149.833の地点まで交戦した後、残っていた魚雷を第五恵比寿丸に向けて発射し命中。弾薬が尽きていた第五恵比寿丸は「機械故障」の無電を発した後沈没したものと考えられる。第五恵比寿丸と交戦した後、航空機が出現したのでスコーピオンは潜航して逃げ切った。帰途、スコーピオンはミッドウェー島に寄港。5月8日、スコーピオンは33日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。スコーピオンは整備により、備砲を3インチ砲から4インチ砲に換装した。
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