第1の哨戒 1943年6月 - 7月
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「ハーダー (SS-257)」の記事における「第1の哨戒 1943年6月 - 7月」の解説
1943年6月7日、ハーダーは最初の哨戒で日本近海に向かった。6月21日深夜から翌22日未明にかけて、ハーダーは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度30分 東経137度32分 / 北緯34.500度 東経137.533度 / 34.500; 137.533の大王崎沖12海里の地点で潜水母艦駒橋が護衛する第7621B船団を発見する。レーダー使用による水上攻撃により魚雷を4本発射し、魚雷は海軍徴傭タンカー第三共栄丸(共栄タンカー、1,182トン)に命中して火災を発生させたが辛くも沈没は免れた。駒橋は爆雷を投下したが、ハーダーは350フィートの深度に逃れて難なく爆雷攻撃を切り抜けた。日付が6月22日から6月23日に変わるころ、14ノットで航行する第42号駆潜艇を発見し、第42号駆潜艇もまたハーダーを発見して砲戦を開始したが荒天のためすぐに打ち切られ、ハーダーは第42号駆潜艇を振り切ることに成功した。6月23日未明、ハーダーは北緯33度45分 東経138度10分 / 北緯33.750度 東経138.167度 / 33.750; 138.167の神子元島沖で輸送船団を発見し、大きい目標である特設運送艦相良丸(日本郵船、7,189トン)に対して魚雷を4本発射、魚雷は1本しか命中しなかったものの相良丸は航行不能となった。相良丸は護衛の駆逐艦澤風の手助けで天竜川河口掛塚灯台付近に座礁した。6月24日朝には北緯34度00分 東経136度40分 / 北緯34.000度 東経136.667度 / 34.000; 136.667の三木埼87度20海里地点で第8623船団を発見し、魚雷を計7本発射して3つの命中と判断された。魚雷は輸送船木津川丸(東洋海運、1,915トン)に向かったが、回避された。6月25日午後にも北緯33度25分 東経135度44分 / 北緯33.417度 東経135.733度 / 33.417; 135.733の潮岬西方で3隻の輸送船団を発見し、魚雷を計7本発射。2つの爆発を確認したが、実際には輸送船名瀬丸(大阪商船、1,218トン)は雷撃を回避した。6月29日午前、ハーダーは北緯34度34分 東経137度52分 / 北緯34.567度 東経137.867度 / 34.567; 137.867の地点で座礁した相良丸を発見し、残った2本の魚雷を発射しようとしたが、特に利益にもならないと見て発射しなかった。こののち相良丸は、7月4日にポンパーノ (USS Pompano, SS-181) からの更なる雷撃を受け、後日船体が折れて全損となった。同じ日の午後には北緯34度34分 東経137度52分 / 北緯34.567度 東経137.867度 / 34.567; 137.867の地点で第8628B船団を発見し、最後に残った魚雷を2本発射。魚雷は輸送船とタンカーに1本ずつ命中したものと判定されたが、回避されたばかりか「機雷の爆発」と勘違いされた。7月7日にミッドウェー島に寄港。7月10日、ハーダーは33日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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