第1の哨戒 1943年12月 - 1944年1月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1943年12月 - 1944年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:48 UTC 版)

バットフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」の解説

12月11日バットフィッシュ最初哨戒日本近海向かった12月15日ミッドウェー島寄港して給油した後、哨区に到着した1944年1月14日バットフィッシュ北緯3048東経135度17分 / 北緯30.800度 東経135.283度 / 30.800; 135.283の伊豆諸島南方暴風雨悩まされながら充電していた。その時レーダーにより3個の目標が近づいてくるのを確認した。これはトラック諸島から引き揚げてきた戦艦大和護衛駆逐艦藤波朝雲であった。しかし、この暴風雨藤波朝雲ついていくのがやっとであったバットフィッシュ大波ものともせず充電しつつ大和のいる方向接近して行った大和も距離18,000メートルところにいるバットフィッシュ存在気づいて砲戦用意をしつつ欺瞞航路取ったバットフィッシュ元に司令部から「戦艦大和向かっている」との情報改めもたらされ先回りして待ち伏せすることとした。ところが、ここに来てメリル艦長が「戦艦主砲射程圏内に入った潜航する」と弱気なことを言い出した戦艦乗艦経験のある部下のモルテーニからの説得抗議も、弱気になっていたメリルの耳には入らなかった。バットフィッシュは距離16,000メートルまで接近した後、大和への攻撃をあっさりとあきらめた1月20日には、室戸岬南方180海里地点海軍徴用船日高丸日本郵船、5,468トン)を撃沈した1月30日バットフィッシュ50日間行動終えてミッドウェー島帰投大和攻撃一件メリル艦長意見具申却下されたモルテーニが、メリル艦長とともに勤務することを嫌って転属願い出しバットフィッシュ去っていった。

※この「第1の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」の解説は、「バットフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1の哨戒 1943年12月 - 1944年1月」を含む「バットフィッシュ (潜水艦)」の記事については、「バットフィッシュ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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