第1の哨戒 1943年1月 - 2月
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「タニー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年1月 - 2月」の解説
タニーの最初の哨戒は1943年1月12日で、東シナ海に向かった。哨戒海域へ航行中、ほぼ一週間におよぶ荒天でタニーの航行は困難を極めた。南西諸島に接近すると、多数の艦影を発見するようになる。1月25日にはサンパンやトロール船を頻繁に発見し、これらからの発見を回避するためタニーはしばしば潜航した。1月26日の早暁、タニーは400トン級トロール船を改造した特設監視艇を発見。半日も追跡した後夕刻に浮上し、浮上砲戦でこれを撃沈しようとしたが、間もなく日が暮れて目標を確認することが困難となり、攻撃は32発撃ったところで打ち切られた。3日後、タニーは台湾海峡とその周辺に移動する。1月31日には北緯22度34分 東経120度08分 / 北緯22.567度 東経120.133度 / 22.567; 120.133の地点で、高雄港に入りつつあった輸送船西寧丸(大連汽船、4,913トン)に向けて魚雷を2本を発射したが回避された。その後は香港沖に移動して哨戒を続けた。2月2日、タニーは香港沖でレーダーにより探知したタンカーに対して四度にわたって魚雷を3本ずつ3回と1本の計10本発射したが、すべて命中しなかった。翌2月3日には、これもレーダーで探知した「大きな目標」に対して魚雷を3本発射し、うち2本が命中するのを確認した。2月3日の攻撃では、北緯22度03分 東経114度23分 / 北緯22.050度 東経114.383度 / 22.050; 114.383の地点で陸軍船第一新東丸(澤山汽船、1,927トン)に損傷を与えたとした。2月4日には汕頭沖に移動し、病院船を発見した。汕頭沖は海底の形状が潜航して行動するには不向きであり、また海上ではジャンクばかりが目に付いた。この日、タニーは北緯21度30分 東経113度42分 / 北緯21.500度 東経113.700度 / 21.500; 113.700の地点で輸送船辰和丸(辰馬合資、6,335トン)を撃破した。2月8日20時ごろ、タニーは北緯22度30分 東経119度03分 / 北緯22.500度 東経119.050度 / 22.500; 119.050の地点で輸送船楠山丸(山下汽船、5,307トン)を発見し、魚雷を2本ずつ2回と3本の計7本発射して楠山丸に2本を命中させ、楠山丸は「損害軽微」と報じられたものの沈没した。翌2月9日にも北緯22度42分 東経120度06分 / 北緯22.700度 東経120.100度 / 22.700; 120.100の地点で海軍徴傭船鎌倉丸(日本郵船、17,498トン)に対して魚雷を2本発射し爆発を記録したが、実際にはすんでのところで回避されていた。2月11日に哨戒海域を後にしたタニーは、2月15日に北緯25度00分 東経147度00分 / 北緯25.000度 東経147.000度 / 25.000; 147.000の地点で100トン級トロール船を発見し、浮上砲戦で撃沈した。2月20日にミッドウェー島に到着。2月24日、タニーは43日間の行動を終えて真珠湾に帰投、潜水母艦スペリー(英語版) (USS Sperry, AS-12) による整備を受けた。
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