第1の哨戒 1943年8月 - 10月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1943年8月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:06 UTC 版)

ボーフィン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年8月 - 10月」の解説

8月16日ボーフィン最初哨戒南シナ海向かった8月19日ダーウィン寄港し補給休息ののち8月25日出航したボーフィン9月2日ミンダナオ海到着し、同島西部のビヌニ岬に接近して貨物と9名の人員揚陸その後通常の哨戒戻り、3週間ミンダナオ海哨戒したあと、ビルフィッシュ (USS Billfish, SS-286) と合流して連携作戦を取ることとなった翌日ボーフィンとビルフィッシュは6隻からなる12船団発見しボーフィンは5時間追跡したのち、絶好攻撃位置就いた14時20分、ボーフィン北緯0950東経11203分 / 北緯9.833度 東経112.050度 / 9.833; 112.050の地点船団向けて魚雷を6本発射し旋回したのち艦尾発射管から魚雷4本をタンカー向けて発射した最初の発射した魚雷のうちの2本が、応急タンカー霧島丸(国際汽船、8,267トン)に命中した。他の船からの射撃により、ボーフィン観測続けることは出来なかった。1時間後、潜望鏡深度戻して観測すると、霧島丸が炎上しながら船尾を下にして沈没してゆくところ見えたその日遅くボーフィン乗組員遠方から爆発音聞き、これはビルフィッシュがサ12船団残り追いかけ攻撃している音だと推測した。この時点ボーフィンとビルフィッシュは2隻12,000トン戦果上げた判断され全力挙げて12船団追いかけたものの、暗闇紛れて去っていった。 翌朝ボーフィンレーダーを持つ航空機逆探知し、攻撃避けるため潜航した2日後ボーフィンは1,400トンクラスの三島貨物船発見。約3時間にわたって追跡し攻撃位置に就いて魚雷3本発射。しかし、1本は目標の手前で止まり、他の2本は途中で消えてしまった。9月30日ボーフィンミンダナオ海航行中100名ほどの日本兵乗った発動機船を発見。4インチ砲で射撃すると、相手機関銃反撃してきた。ボーフィン側は20ミリ機銃戦闘加えさせ、猛攻の末発動機船を撃沈した。またこの日、ボーフィンシキホル島立ち寄って貨物郵送物、金品、9名の人員揚陸した。 10月2日マカッサル海峡南下していたボーフィンは、バリクパパン沖でスクーナー発見ボーフィン臨検意図をもって威嚇射撃を2発発射したが、相手応じなかったため最終的に撃沈した10月10日ボーフィン57日間行動終えてフリーマントル帰投潜水隊司令ラルフ・W・クリスティ英語版)はボーフィン行動賞賛し、ウィリングハム昇進して艦を去った後任艦長にはワルター・トーマス・グリフィス(アナポリス1934年組)が就いた

※この「第1の哨戒 1943年8月 - 10月」の解説は、「ボーフィン (潜水艦)」の解説の一部です。
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