第1の哨戒 1943年8月 - 10月
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「ボーフィン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年8月 - 10月」の解説
8月16日、ボーフィンは最初の哨戒で南シナ海に向かった。8月19日にダーウィンに寄港し、補給と休息ののち8月25日に出航した。ボーフィンは9月2日にミンダナオ海に到着し、同島西部のビヌニ岬に接近して貨物と9名の人員を揚陸。その後は通常の哨戒に戻り、3週間ミンダナオ海で哨戒したあと、ビルフィッシュ (USS Billfish, SS-286) と合流して連携作戦を取ることとなった。翌日、ボーフィンとビルフィッシュは6隻からなるサ12船団を発見し、ボーフィンは5時間追跡したのち、絶好の攻撃位置に就いた。 14時20分、ボーフィンは北緯09度50分 東経112度03分 / 北緯9.833度 東経112.050度 / 9.833; 112.050の地点で船団に向けて魚雷を6本発射し、旋回したのち艦尾発射管から魚雷4本をタンカーに向けて発射した。最初の発射した魚雷のうちの2本が、応急タンカー霧島丸(国際汽船、8,267トン)に命中した。他の船からの射撃により、ボーフィンは観測を続けることは出来なかった。1時間後、潜望鏡深度に戻して観測すると、霧島丸が炎上しながら船尾を下にして沈没してゆくところが見えた。その日の遅く、ボーフィンの乗組員は遠方からの爆発音を聞き、これはビルフィッシュがサ12船団の残りを追いかけて攻撃している音だと推測した。この時点でボーフィンとビルフィッシュは2隻12,000トンの戦果を上げたと判断され、全力を挙げてサ12船団を追いかけたものの、暗闇に紛れて去っていった。 翌朝、ボーフィンはレーダーを持つ航空機を逆探知し、攻撃を避けるため潜航した。2日後、ボーフィンは1,400トンクラスの三島型貨物船を発見。約3時間にわたって追跡し、攻撃位置に就いて魚雷を3本発射。しかし、1本は目標の手前で止まり、他の2本は途中で消えてしまった。9月30日、ボーフィンはミンダナオ海を航行中、100名ほどの日本兵が乗った発動機船を発見。4インチ砲で射撃すると、相手も機関銃で反撃してきた。ボーフィン側は20ミリ機銃を戦闘に加えさせ、猛攻の末発動機船を撃沈した。またこの日、ボーフィンはシキホル島に立ち寄って貨物と郵送物、金品、9名の人員を揚陸した。 10月2日、マカッサル海峡を南下していたボーフィンは、バリクパパン沖でスクーナーを発見。ボーフィンは臨検の意図をもって威嚇射撃を2発発射したが、相手が応じなかったため最終的には撃沈した。10月10日、ボーフィンは57日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。潜水隊司令ラルフ・W・クリスティ(英語版)はボーフィンの行動を賞賛し、ウィリングハムは昇進して艦を去った。後任艦長にはワルター・トーマス・グリフィス(アナポリス1934年組)が就いた。
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