第1の哨戒 1943年9月 - 11月
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「ラッシャー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年9月 - 11月」の解説
9月24日、ラッシャーは最初の哨戒でセレベス海、マカッサル海峡方面に向かった。ダーウィンで給油をした後哨戒海域に到着。10月9日朝、ラッシャーは南緯03度36分 東経127度44分 / 南緯3.600度 東経127.733度 / -3.600; 127.733のアンボン島西岸沖アンボン湾口で輸送船団を発見し、魚雷を3本発射するも命中せず、さらに魚雷を3本発射して、2本を陸軍輸送船こがね丸(日本海運、3,131トン)に命中させて撃沈した。4日後の10月13日にも、南緯03度49分 東経127度40分 / 南緯3.817度 東経127.667度 / -3.817; 127.667のアンボン港外アンボン灯台265度の沖合で、4隻の輸送船と2隻の護衛艦で構成され上空を零式水上観測機が監視していた輸送船団を発見。2つの目標に向けて、魚雷をそれぞれ3本ずつ発射し、陸軍輸送船健国丸(日神汽船、3,377トン)に命中してこれを撃沈した。直後から護衛艦の、積極的な爆雷攻撃を受けたが、ラッシャーは損害を受けなかった。ラッシャーはセレベス島の北方をめぐって航行し、10月31日には北緯01度25分 東経120度46分 / 北緯1.417度 東経120.767度 / 1.417; 120.767のセレベス島トリトリの北で特設運送船(給油)康良丸(中村汽船、589トン)を発見し攻撃しようとしたが、零式水上観測機の妨害を受け夜まで攻撃できず、航空機の脅威がなくなってから魚雷を3本発射し、2本を命中させて康良丸を撃沈した。11月8日16時55分ごろ、ラッシャーは北緯00度22分 東経119度44分 / 北緯0.367度 東経119.733度 / 0.367; 119.733の地点で、第41号駆潜特務艇の護衛を得てバリクパパンからダバオに向かっていたタンカー端午丸(拿捕船、元オランダ船タラン・アカー/三菱汽船委託、2,046トン)に向けて魚雷を3本発射し、魚雷は端午丸の船尾に命中して船尾をもぎ取って撃沈したが、ラッシャーの方では当初、撃沈とは考えていなかった。それでも、ラッシャーは静かにその場を去って反撃から逃れた。翌11月9日未明には北緯00度39分 東経119度04分 / 北緯0.650度 東経119.067度 / 0.650; 119.067の地点で輸送船団を発見して魚雷を計6本発射し、タンカーに魚雷を命中させたと判断したが実際には命中はなく、護衛艦による盛んな反撃がラッシャーの観測の邪魔となり、結局戦果を判定することができなかった。11月24日、ラッシャーは61日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がウィラード・R・ラーション少佐(アナポリス1933年組)に代わった。
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第1の哨戒 1943年9月 - 11月
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「セロ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年9月 - 11月」の解説
9月26日、セロは最初の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。この時、アメリカ海軍で最初のウルフパックが編成され、セロはシャード (USS Shad, SS-235) およびグレイバック (USS Grayback, SS-208) とともに、セロに乗艦したチャールズ・モンセン(英語版)司令の指揮下で行動することとなった。10月12日未明、セロは北緯28度30分 東経137度28分 / 北緯28.500度 東経137.467度 / 28.500; 137.467の父島の西南西300海里の地点で3隻の輸送船と2隻の駆逐艦を発見。9,500トン級輸送船、6,000トン級輸送船および5,000トン級輸送船に対し魚雷を6本発射し、3つの命中を確認する。深深度潜航で爆雷攻撃に備えたのち、正午前の二度目の攻撃で、最初の攻撃で航行不能となった9,500トン級輸送船に対して魚雷を3本発射し、3本とも命中させたが沈む気配も何も起こらなかった。この時雷撃されたのは第3009甲船団に加入していた特務艦間宮であり、間宮は後部を大破し、丁四号輸送作戦に従事中の軽巡洋艦五十鈴などの救援を受けた。10月27日未明、セロは前夜に会合したシャードがグレイバックとともにマ08船団を攻撃していることを示す複数の魚雷爆発音を聴取するが、おこぼれにすらありつくことが出来なかった。11月4日夜、セロは北緯32度50分 東経125度57分 / 北緯32.833度 東経125.950度 / 32.833; 125.950のソコトラ岩近海で第111船団を発見し、北緯32度28分 東経125度18分 / 北緯32.467度 東経125.300度 / 32.467; 125.300の地点に至った所で、船団の先頭船3隻や船団から後落していた陸軍輸送船旭光丸(山下汽船、6,783トン)に対して魚雷を計9本発射し、10,000トン級輸送船に1本、7,500トン級輸送船に2本命中したと判断されたが、旭光丸を初め第111船団に被害はなかった。11月11日には北緯30度50分 東経150度17分 / 北緯30.833度 東経150.283度 / 30.833; 150.283の地点で特設監視艇に対して、4インチ砲と機銃による攻撃を行った。11月16日、セロは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がエドワード・F・ディセット少佐(アナポリス1934年組)に代わった。
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