第1の哨戒 1943年9月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1943年9月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 06:49 UTC 版)

ラッシャー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年9月 - 11月」の解説

9月24日ラッシャー最初哨戒セレベス海マカッサル海峡方面向かったダーウィン給油をした後哨戒海域到着10月9日朝、ラッシャー南緯0336東経12744分 / 南緯3.600度 東経127.733度 / -3.600; 127.733のアンボン島西岸アンボン湾口輸送船団発見し魚雷3本発射する命中せず、さらに魚雷3本発射して、2本を陸軍輸送船こがね丸日本海運、3,131トン)に命中させて撃沈した4日後の10月13日にも、南緯0349東経12740分 / 南緯3.817度 東経127.667度 / -3.817; 127.667のアンボン港外アンボン灯台265度の沖合で、4隻の輸送船と2隻の護衛艦構成され上空零式水上観測機監視していた輸送船団発見2つ目標向けて魚雷それぞれ3本ずつ発射し陸軍輸送船健国丸(日神汽船、3,377トン)に命中してこれを撃沈した直後から護衛艦の、積極的な爆雷攻撃受けたが、ラッシャー損害を受けなかった。ラッシャーセレベス島北方めぐって航行し10月31日には北緯0125東経12046分 / 北緯1.417度 東経120.767度 / 1.417; 120.767のセレベス島トリトリの北で特設運送船給油)康良丸(中村汽船589トン)を発見し攻撃しようとしたが、零式水上観測機妨害を受け夜まで攻撃できず、航空機脅威なくなってから魚雷3本発射し、2本を命中させて康良丸を撃沈した11月8日16時55分ごろ、ラッシャー北緯0022東経11944分 / 北緯0.367度 東経119.733度 / 0.367; 119.733の地点で、第41号駆潜特務艇の護衛得てバリクパパンからダバオ向かっていたタンカー端午丸(拿捕船、元オランダ船タラン・アカー/三菱汽船委託、2,046トン)に向けて魚雷3本発射し魚雷端午丸の船尾命中して船尾をもぎ取って撃沈したが、ラッシャーの方では当初撃沈とは考えていなかった。それでも、ラッシャー静かにその場去って反撃から逃れた。翌11月9日未明には北緯0039東経11904分 / 北緯0.650度 東経119.067度 / 0.650; 119.067の地点輸送船団発見して魚雷を計6本発射しタンカー魚雷命中させたと判断した実際に命中はなく、護衛艦による盛んな反撃ラッシャー観測の邪魔となり、結局戦果判定することができなかった。11月24日ラッシャー61日間行動終えてフリーマントル帰投艦長ウィラード・R・ラーション少佐アナポリス1933年組)に代わった。

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第1の哨戒 1943年9月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 21:27 UTC 版)

セロ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年9月 - 11月」の解説

9月26日セロ最初哨戒東シナ海および黄海方面向かった。この時、アメリカ海軍で最初ウルフパック編成されセロシャード (USS Shad, SS-235) およびグレイバック (USS Grayback, SS-208) とともにセロ乗艦したチャールズ・モンセン(英語版司令指揮下で行動することとなった10月12日未明セロ北緯2830東経13728分 / 北緯28.500度 東経137.467度 / 28.500; 137.467の父島西南西300海里地点で3隻の輸送船と2隻の駆逐艦発見。9,500トン輸送船、6,000トン輸送船および5,000トン輸送船対し魚雷を6本発射し3つの命中確認する深深潜航爆雷攻撃備えたのち、正午前の二度目攻撃で、最初の攻撃航行不能となった9,500トン輸送船に対して魚雷3本発射し3本とも命中させたが沈む気配も何も起こらなかった。この時雷撃されたのは第3009甲船団加入していた特務艦間宮であり、間宮後部大破し、丁四号輸送作戦従事中の軽巡洋艦五十鈴などの救援受けた10月27日未明セロ前夜会合したシャードグレイバックとともに08船団攻撃していることを示す複数魚雷爆発音聴取するが、おこぼれにすらありつくことが出来なかった。11月4日夜、セロ北緯3250東経12557分 / 北緯32.833度 東経125.950度 / 32.833; 125.950のソコトラ岩近海で第111船団発見し北緯3228東経12518分 / 北緯32.467度 東経125.300度 / 32.467; 125.300の地点至った所で、船団先頭船3隻や船団から後落していた陸軍輸送船旭光丸(山下汽船、6,783トンに対して魚雷を計9本発射し10,000トン輸送船に1本、7,500トン輸送船に2本命中した判断されたが、旭光丸を初め111船団被害はなかった。11月11日には北緯3050東経15017分 / 北緯30.833度 東経150.283度 / 30.833; 150.283の地点特設監視艇に対して、4インチ砲と機銃による攻撃行った11月16日セロ52日間行動終えてミッドウェー島帰投艦長エドワード・F・ディセット少佐アナポリス1934年組)に代わった。

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