第1の哨戒 1944年1月 - 3月
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「レッドフィン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年1月 - 3月」の解説
1月4日、レッドフィンは最初の哨戒で南シナ海方面に向かった。1月9日未明、レッドフィンは北緯03度23分 東経121度55分 / 北緯3.383度 東経121.917度 / 3.383; 121.917の地点で2隻の輸送船と2隻の護衛艦からなる輸送船団を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった。1月16日夕刻には、北緯15度08分 東経114度58分 / 北緯15.133度 東経114.967度 / 15.133; 114.967の地点でレーダーで4つの目標を探知。そのころ、インドシナ半島クイニョンキノン東方470キロ地点でシンガポールに向かっていたヒ31船団は、対潜掃討のため駆逐艦天津風を分離し、探索を行わせていた。レッドフィンは夜に入り、北緯14度40分 東経113度50分 / 北緯14.667度 東経113.833度 / 14.667; 113.833の地点にいたったところで天津風に対して魚雷を4本発射し、魚雷は天津風の艦首に命中して天津風の艦体前部を大破させ、航行不能に陥らせた。レッドフィンでは、「魚雷はすべて命中して目標は撃沈」と判断していた。2月17日、レッドフィンは45日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がマーシャル・H・オースティン少佐(アナポリス1935年組)に代わった。
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