第1の哨戒 1944年1月 - 3月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1944年1月 - 3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:17 UTC 版)

レッドフィン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年1月 - 3月」の解説

1月4日、レッドフィンは最初哨戒南シナ海方面向かった1月9日未明、レッドフィンは北緯0323東経12155分 / 北緯3.383度 東経121.917度 / 3.383; 121.917の地点で2隻の輸送船と2隻の護衛艦からなる輸送船団発見し魚雷3本発射した命中しなかった。1月16日夕刻には、北緯15度08東経11458分 / 北緯15.133度 東経114.967度 / 15.133; 114.967の地点レーダー4つ目標探知。そのころ、インドシナ半島クイニョンキノン東方470キロ地点シンガポール向かっていたヒ31船団は、対潜掃討のため駆逐艦天津風分離し探索を行わせていた。レッドフィンは夜に入り北緯14度40東経11350分 / 北緯14.667度 東経113.833度 / 14.667; 113.833の地点いたったところで天津風に対して魚雷を4本発射し魚雷天津風艦首命中して天津風の艦体前部大破させ、航行不能に陥らせた。レッドフィンでは、「魚雷はすべて命中して目標撃沈」と判断していた。2月17日、レッドフィンは45日間行動終えてフリーマントル帰投艦長マーシャル・H・オースティン少佐アナポリス1935年組)に代わった。

※この「第1の哨戒 1944年1月 - 3月」の解説は、「レッドフィン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1の哨戒 1944年1月 - 3月」を含む「レッドフィン (潜水艦)」の記事については、「レッドフィン (潜水艦)」の概要を参照ください。

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