第1の哨戒 1944年5月 - 6月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:25 UTC 版)
「ギターロ (ガトー級潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年5月 - 6月」の解説
5月7日、ギターロは最初の哨戒で台湾近海に向かった。5月30日夕刻、ギターロは北緯24度32分 東経123度24分 / 北緯24.533度 東経123.400度 / 24.533; 123.400の与那国島近海で「照月型駆逐艦」と2隻の小型護衛艦を配した輸送船団を発見。魚雷を3本発射し、魚雷は輸送船四川丸(東亜海運、2,201トン)に2本が命中してこれを撃沈した。ギターロは護衛艦の反撃を回避したあと、フランク・W・フェンノ中佐(アナポリス1925年組)が指揮するウルフパック「フェンノズ・フェレッツ Fenno's Ferrets」の潜水艦、ピクーダ (USS Picuda, SS-382) 、ピート (USS Peto, SS-265) 、パーチ (USS Perch, SS-313) の3隻と共に南に向かった。合流して間もない6月2日未明、ギターロは北緯22度42分 東経121度24分 / 北緯22.700度 東経121.400度 / 22.700; 121.400の火焼島北西15キロ地点でヒ65船団を発見し、タンカーに向けて魚雷を6本発射したが、その魚雷を発見した海防艦淡路が船団旗艦軽巡洋艦香椎に「魚雷発見」を報告した直後に雷跡に入り込み、魚雷が命中した淡路は轟沈した。また、外れた魚雷のうち、1本が輸送船有馬山丸(三井船舶、8,697トン)に命中した。「1万トン級タンカー撃沈」と判定したギターロは水上艦艇の爆雷攻撃及び航空機からの攻撃を回避するため潜航したが、船団側は被雷した有馬山丸と陸軍特殊船神州丸が衝突事故を起こすなど支離滅裂となり、反撃どころではなかった。ギターロは昼前に再度接触して空母海鷹などの姿を確認したが、航空機の哨戒が厳しく確認だけで終わった。夜に入って、北緯22度33分 東経121度15分 / 北緯22.550度 東経121.250度 / 22.550; 121.250の地点で「峯風型駆逐艦」の姿を艦尾方向に発見し、魚雷を2本発射して1本の命中を確認し、「峯風型駆逐艦」の撃沈と判定された。6月19日、ギターロはダーウィンに到着し、給油を行って2日後に出港。6月27日、ギターロは51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
※この「第1の哨戒 1944年5月 - 6月」の解説は、「ギターロ (ガトー級潜水艦)」の解説の一部です。
「第1の哨戒 1944年5月 - 6月」を含む「ギターロ (ガトー級潜水艦)」の記事については、「ギターロ (ガトー級潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第1の哨戒 1944年5月 - 6月のページへのリンク