第1の哨戒 1944年5月 - 7月
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「フライアー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説
5月21日、フライアーは改めて最初の哨戒でルソン島西部に向かった。6月4日、フライアーは北緯22度37分 東経136度50分 / 北緯22.617度 東経136.833度 / 22.617; 136.833の硫黄島西南西510キロの地点で、サイパン島から横須賀に向かっていた第4530船団を発見し、攻撃態勢に入った。フライアーは各々2隻の目標に3本の魚雷を発射し、特設運送船白山丸(日本郵船、10,380トン)に2本命中させて撃沈した。その後哨戒海域に到達したフライアーは、6月13日に北緯15度57分 東経119度42分 / 北緯15.950度 東経119.700度 / 15.950; 119.700のルソン島カイマン岬西北西7.5キロの地点で、少なくとも6隻の護衛艦艇に守られた11隻の輸送船及びタンカーから成るミ05船団を発見した。15時55分、フライアーは10,000トン級タンカーに向けて魚雷を4本発射。うち1本がタンカーまりふ丸(三菱汽船、5,145トン)の左舷油槽に命中し大破させた。フライアーは、最終的に船団にどのような損害を与えたか確認する前に、護衛艦の対潜攻撃で激しい攻撃を受けることとなった。6月22日夜には北緯12度50分 東経120度40分 / 北緯12.833度 東経120.667度 / 12.833; 120.667のミンドロ島沖で輸送船団を発見して追跡し、2隻の輸送船に6本の魚雷を発射し4つの命中音を確認。続く二度目の攻撃では魚雷を4本発射し、3つの命中音を確認した。一連の攻撃の末、陸軍輸送船白耳義(べるぎー)丸(大阪商船、5,838トン)を大破させた。7月5日、フライアーは44日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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