第1の哨戒 1944年5月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1944年5月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 02:05 UTC 版)

フライアー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説

5月21日フライアー改め最初哨戒ルソン島西部向かった6月4日フライアー北緯2237東経13650分 / 北緯22.617度 東経136.833度 / 22.617; 136.833の硫黄島西南西510キロ地点で、サイパン島から横須賀向かっていた第4530船団発見し攻撃態勢入ったフライアー各々2隻の目標3本魚雷発射し特設運送船白山丸日本郵船10,380トン)に2本命中させて撃沈したその後哨戒海域到達したフライアーは、6月13日北緯15度57東経11942分 / 北緯15.950度 東経119.700度 / 15.950; 119.700のルソン島カイマン西北西7.5キロ地点で、少なくとも6隻の護衛艦艇に守られ11隻の輸送船及びタンカーから成る05船団発見した15時55分、フライアー10,000トンタンカー向けて魚雷を4本発射。うち1本がタンカーまりふ丸(三菱汽船、5,145トン)の左舷油槽命中し大破させた。フライアーは、最終的に船団どのような損害与えた確認する前に護衛艦対潜攻撃激し攻撃を受けることとなった6月22日夜に北緯12度50東経12040分 / 北緯12.833度 東経120.667度 / 12.833; 120.667のミンドロ島沖で輸送船団発見して追跡し、2隻の輸送船に6本の魚雷発射し4つ命中音を確認。続く二度目攻撃では魚雷を4本発射し3つの命中音を確認した一連の攻撃の末、陸軍輸送船白耳義べるぎー)丸(大阪商船、5,838トン)を大破させた。7月5日フライアー44日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第1の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説は、「フライアー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1の哨戒 1944年5月 - 7月」を含む「フライアー (潜水艦)」の記事については、「フライアー (潜水艦)」の概要を参照ください。

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