第1の哨戒 1944年7月 - 8月
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「クローカー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年7月 - 8月」の解説
7月19日、クローカーは最初の哨戒で東シナ海および黄海に向かった。8月6日夜、クローカーは北緯32度10分 東経129度50分 / 北緯32.167度 東経129.833度 / 32.167; 129.833の甑島列島近海で3,500トン輸送船を発見し、魚雷を4本発射したが命中しなかった。クローカーは浮上して追撃の上、1時間後に北緯31度50分 東経130度05分 / 北緯31.833度 東経130.083度 / 31.833; 130.083の地点で再度魚雷を3本発射したが、この攻撃も成功しなかった。8月7日12時過ぎ、クローカーは北緯32度09分 東経129度53分 / 北緯32.150度 東経129.883度 / 32.150; 129.883の長崎の真南、牛深の西方洋上で駆潜艇と対潜哨戒機に護衛され航行をしていた軽巡洋艦長良を発見した。クローカーは魚雷を4本発射したが、長良がジグザグ航行で転舵したため、魚雷は逸れたと半ば諦めかけていた。ところが、2分後に長良が元の進路に戻ってきたため、少なくとも1本は命中することとなった。12時22分に魚雷1本が長良の右舷後方に命中。長良は艦首を上にして間もなく沈没し、クローカーはその様子を潜望鏡越しにカラームービーで撮影した。8月14日未明には、北緯37度30分 東経125度08分 / 北緯37.500度 東経125.133度 / 37.500; 125.133の地点でレーダーにより目標を探知し、魚雷を6本発射。うち2本が命中し、特設運送船第七大源丸(名村汽船、1,289トン)を撃沈した。8月16日夜にも北緯36度15分 東経125度50分 / 北緯36.250度 東経125.833度 / 36.250; 125.833の地点で9ノットで航行する哨戒艇を発見し、魚雷を1本だけ発射。魚雷は特設掃海艇太東丸(西日本汽船、267トン)に命中し、爆発と閃光を残して沈没した。日本側が太東丸の沈没を知ったのはいく日か経ってからのことだった。翌8月17日未明、北緯35度33分 東経126度10分 / 北緯35.550度 東経126.167度 / 35.550; 126.167の地点でレーダーにより目標を探知したクローカーは、魚雷を二度にわたり3本ずつ発射。1本がエラーを起こしたものの、魚雷は2本が輸送船山照丸(山下汽船、6,862トン)に命中し、山照丸は3分で沈没した。日本側は触雷を疑っていた。この攻撃でクローカーは魚雷を使い果たした。8月18日から8月20日までは、B-29の支援にあたった。8月31日、クローカーは43日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。一連の功績で海軍殊勲部隊章を受章した。
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