第1の哨戒、1944年7月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒、1944年7月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:07 UTC 版)

スペードフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒、1944年7月 - 9月」の解説

7月23日スペードフィッシュ最初哨戒でピクーダ (USS Picuda, SS-382) およびレッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) とウルフパック構成しルソン海峡方面向かった8月19日スペードフィッシュルソン島北西海岸沖合いフィリピン海域で哨戒中、マニラに向かうヒ71船団発見ヒ71船団2日前の8月17日から他の潜水艦猛攻により、ここまで空母大鷹貨客船帝亜丸帝国船舶、元フランスアラミス/日本郵船委託17,537トン)がラッシャー (USS Rasher, SS-269) に撃沈されていた。スペードフィッシュラッシャー帝亜丸撃沈した後に攻撃し4時30分、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯1849東経11947分 / 北緯18.817度 東経119.783度 / 18.817; 119.783の地点船団離れて単独航行中陸軍特殊船玉津丸大阪商船、9,590トンに対して魚雷を2本発射魚雷は2本とも玉津丸右舷命中し玉津丸10分で沈没この後ブルーフィッシュ (USS Bluefish, SS-222) が給油艦速吸撃沈しタンカー帝洋丸(日東汽船、9,849トン)もまた沈没ヒ71船団玉津丸乗船中の第26師団将兵のほとんどが戦死するなど、手痛い損害被った3日後の8月22日スペードフィッシュバブヤン海峡南下しルソン島北部海岸沿いに接岸航行中タマ24A 船団発見し追跡接近した上で12時10分にタンカー第二八紘丸(日本油槽船10,022トンに対して魚雷を2本発射船首船体中央魚雷命中受けた第二八紘丸は、バサレン湾に座礁した。この攻撃では、駆逐艦護衛されたもう1隻のタンカー損傷与えたとも判断された。翌日スペードフィッシュ座礁中の第二八紘丸に止めを刺さんと接近し護衛駆逐艦夕凪はねのけ魚雷を4本発射。しかし、魚雷途中で沈没したりして命中しなかった。スペードフィッシュ爆雷攻撃受けたが、大したことはなかった。第二八紘丸は、搭載魚雷艇後続船団移した上で放棄され護衛夕凪はピクーダの攻撃撃沈された。スペードフィッシュ手持ち魚雷3本だけになったので、一旦哨戒中断し補給のためサイパン島タナパグ港向かい8月29日入港して補給後に哨戒再開した9月8日スペードフィッシュ北緯2445分 東経12320分 / 北緯24.750度 東経123.333度 / 24.750; 123.333の石垣島南西沖で門司に向かうタカ808船団発見スペードフィッシュ大胆な浮上攻撃をかけ、22時5分に船団最後列の日安丸(日産汽船、6,197トン)と日満丸(東亜海運、1,922トン)を撃沈し1時間後には神天丸(大阪商船、1,254トン)と昭慶丸(東和汽船、2,557トン)を撃沈した翌朝には、損傷した船を護衛中護衛艦に対して魚雷を4本発射したが、魚雷目標の下を通過していき、スペードフィッシュお返し爆雷を降らされた。スペードフィッシュはこの攻撃魚雷使い果たしたが、石垣島泊地に、前夜攻撃した船団残りが、5隻の護衛艦とともにとどまっているのを目撃したスペードフィッシュはこの哨戒で6隻31,500トン戦果を、ウルフパックの他の潜水艦33,000トン戦果それぞれ挙げ戦果総計1364,000トン以上となった9月24日スペードフィッシュ59日間行動終えて真珠湾帰投した。

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第1の哨戒 1944年7月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 03:28 UTC 版)

ハードヘッド (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年7月 - 9月」の解説

7月27日ハードヘッド最初哨戒フィリピン方面向かった8月18日2時40分、ハードヘッド北緯12度05東経12926分 / 北緯12.083度 東経129.433度 / 12.083; 129.433のサンベルナルジノ海峡東方においてパラオ対す輸送作戦従事中の日本海軍軽巡洋艦名取第3号輸送艦発見海上攻撃のため接近したハードヘッド最初の攻撃名取右舷魚雷1本を命中させて停止させ、3時30分の2度目攻撃魚雷2本を発射し、うち1本を名取後部命中させたが不発だった。名取7時5分に沈没した哨戒残りは、フィリピン沖で第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機対す救助任務、およびパラオ攻撃における偵察活動従事した9月26日ハードヘッド60日間行動終えてオーストラリアフリーマントル帰投艦長フランシス・A・グリーンアップ(アナポリス1936年組)に代わった。

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