玉津丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 09:07 UTC 版)
玉津丸(たまつまる)は、日本陸軍が大阪商船の名義で太平洋戦争中の1944年(昭和19年)1月に竣工させた揚陸艦。上陸用舟艇の母艦機能を有し、陸軍特種船と呼ばれた。竣工からわずか半年余りの1944年8月にヒ71船団の1隻としてフィリピンへ向かう途中、アメリカ海軍潜水艦の攻撃で撃沈された。乗船中の第26師団の将兵ら4820人のほとんどが戦死し、日本の戦没輸送船のなかでも特に犠牲者数が多い。
注釈
- ^ 商船として実際に運航する意図があったかについては、所有船会社の関係者の立ち入りすら規制されていたことから、疑問視する見方がある[4]。
- ^ 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』によると判読できた範囲で乗船部隊は以下の通り。第26師団主力・野戦重砲兵第22連隊・独立重砲兵・仮編独立速射砲第19大隊・南方軍司令部・5MAcs・第139飛行場設定隊・第155飛行場大隊・第70飛行場中隊・第6航空通信連隊・南方燃料本部・第7方面軍野戦貨物廠・第13航空地区司令部[10]。
- ^ ただし、「隆西丸」と同時に撃沈された「丹後丸」(拿捕船・飯野海運運航:6200総トン)も詳細不明ながら多数の死者を出しており、「玉津丸」を上回る可能性がある[4]。
出典
- ^ a b c d e f 三井造船株式会社 『三十五年史』 三井造船、1953年、101頁。
- ^ a b c d e f g 岩重(2009年)、101頁。
- ^ a b c d e 野間(2002年)、330-331頁。
- ^ a b c d e f g h i j 岩重(2009年)、10-11頁。
- ^ 岩重(2009年)、102頁。
- ^ 岩重(2009年)、9頁。
- ^ 駒宮(1987年)、226-227頁。
- ^ Cressman (1999) , p. 527.
- ^ a b c 大内健二 『商船戦記―世界の戦時商船23の戦い』 光人社〈光人社NF文庫〉、2004年、339頁。
- ^ 陸軍運輸部残務整理部 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』 アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050112500、画像30枚目。
- ^ 駒宮(1977年)、307頁。
- ^ 「順陽丸(PDF)」『戦没した船と海員の資料館』 全日本海員組合(2012年7月6日閲覧)
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