第1の哨戒 1945年2月 - 4月
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「テンチ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1945年2月 - 4月」の解説
2月7日、テンチは最初の哨戒でバラオ (USS Balao, SS-285) 、グルーパー (USS Grouper, SS-214) およびシーデビル (USS Sea Devil, SS-400) とウルフパックを構成し、東シナ海および黄海方面に向かった。この頃には硫黄島の戦いが始まっていた。途中の2月18日、サイパン島タナパグ湾(英語版)に寄港。補給と訓練、太平洋艦隊潜水部隊司令官チャールズ・A・ロックウッド中将(アナポリス1912年組)と首席参謀リチャード・G・ヴォージ大佐(アナポリス1925年組)の巡視を経て2月27日に出航する。各艦定められた海域に向かっていき、通常哨戒に加え気象通報、写真偵察、救助配備任務を遂行することとなった。テンチは屋久島の南を通過して九州寄りの東シナ海に入り、3月18日に第5艦隊(レイモンド・スプルーアンス大将)の艦載機が日本を空襲した際には長崎近海で救助配備任務に就き、正午前に阿久根近海に友軍機が不時着水したので現場に急行して目印のマーカーを発見し、F6F ヘルキャット援護の下で救助活動を行った。テンチは3月の末まで魚雷を使うような獲物には恵まれなかったが、3月22日には北緯32度11分 東経128度16分 / 北緯32.183度 東経128.267度 / 32.183; 128.267の地点で捕鯨船改装の武装タグボートに対して魚雷を3本発射したが、命中しなかった。3月25日には浮遊機雷1個を始末し、同じ3月28日に北緯34度44分 東経122度46分 / 北緯34.733度 東経122.767度 / 34.733; 122.767の地点で小型の100トン級と150トン級のトロール船を5インチ砲と40ミリ機関砲、20ミリ機銃で撃ち沈めて最初の獲物とした。4月3日、テンチは日本機を発見して潜航。浮上後、レーダーにより大小の目標を探知した。目標は商船と護衛艦と判断され、闇夜と霧のため浮上攻撃に決した。テンチは北緯31度50分 東経124度06分 / 北緯31.833度 東経124.100度 / 31.833; 124.100の地点で4,000トン級輸送船と目された目標に向けて魚雷を6本発射し、命中により目標は爆発したと報告した。しかし、戦後の調査ではこれを裏付ける証拠は見出せなかった。この頃には硫黄島の戦いは終わりつつあり、代わって沖縄戦が間近に迫っていた。アメリカ海軍は、日本の残存する水上戦力が反撃のため出撃してくるだろうと予想した。そこで、予想進路上に潜水艦を配置してピケットラインを構成し、反撃の動きを察知しようとした。4月6日、予想通り戦艦大和以下の第二艦隊(伊藤整一中将)が出撃してきたが、当時テンチは九州西方、男女群島近海に配置されており、豊後水道で大和を発見したスレッドフィン (USS Threadfin, SS-410) とは違って何も見なかった。翌4月7日、大和撃沈によりピケットラインは解散し、テンチ、スレッドフィンなどの参加各艦は再び個別活動に戻った。4月8日、テンチは空母エセックス (USS Essex, CV-9) のパイロットと無線士を救助した。4月13日、テンチは55日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。艦長がトーマス・S・バスケット中佐(アナポリス1935年組)に代わった。
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第1の哨戒 1945年2月 - 4月
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「チャブ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1945年2月 - 4月」の解説
2月13日、チャブは最初の哨戒で南シナ海に向かった。2月24日にサイパン島に寄港して補給を受けた後、哨区に到着した。3月3日、チャブは日本の潜水艦と思われる敵から雷撃を受けたが回避した。3月29日には僚艦フラウンダー (USS Flounder, SS-251) からの情報に基づく護衛艦群を発見し、追跡した。敵機によって6度にわたる妨害を受けたが、チャブは全速力を出しなおも食い下がった。しかし、最終的には振り切られた。翌3月30日、チャブの上空で空戦があり、味方機が撃墜された。チャブはさっそく3名のパイロットを救助した。その時、2隻の哨戒艇が出現してきたので、チャブはその場を去った。チャブは南下して哨戒を続けた。4月12日、チャブはジャワ海を航行中に日本の二式水上戦闘機を発見し潜航。直後、爆撃を受け潜望鏡と油圧系統にダメージを受けたが、これ以上の被害はなかった。4月18日、チャブは64日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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