第1の哨戒 1945年2月 - 4月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1945年2月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/05/23 19:29 UTC 版)

テンチ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1945年2月 - 4月」の解説

2月7日テンチ最初哨戒バラオ (USS Balao, SS-285) 、グルーパー (USS Grouper, SS-214) およびシーデビル (USS Sea Devil, SS-400) とウルフパック構成し東シナ海および黄海方面向かったこの頃には硫黄島の戦い始まっていた。途中2月18日サイパン島タナパグ湾(英語版)に寄港補給訓練太平洋艦隊潜水部隊司令官チャールズ・A・ロックウッド中将アナポリス1912年組)と首席参謀リチャード・G・ヴォージ大佐アナポリス1925年組)の巡視経て2月27日出航する。各艦定められ海域向かっていき、通常哨戒加え気象通報写真偵察救助配備任務遂行することとなったテンチ屋久島の南を通過して九州寄り東シナ海入り3月18日第5艦隊レイモンド・スプルーアンス大将)の艦載機日本空襲した際には長崎近海救助配備任務に就き正午前に阿久根近海友軍機が不時着水したので現場急行し目印マーカー発見しF6F ヘルキャット援護の下で救助活動行ったテンチ3月の末まで魚雷を使うような獲物には恵まれなかったが、3月22日には北緯3211東経12816分 / 北緯32.183度 東経128.267度 / 32.183; 128.267の地点捕鯨船改装武装タグボートに対して魚雷3本発射したが、命中しなかった。3月25日には浮遊機雷1個を始末し、同じ3月28日北緯3444東経12246分 / 北緯34.733度 東経122.767度 / 34.733; 122.767の地点小型100トン級と150トン級のトロール船を5インチ砲と40ミリ機関砲20ミリ機銃撃ち沈めて最初獲物とした。4月3日テンチ日本機を発見して潜航浮上後、レーダーにより大小目標探知した目標商船護衛艦判断され闇夜のため浮上攻撃決したテンチ北緯3150東経12406分 / 北緯31.833度 東経124.100度 / 31.833; 124.100の地点で4,000トン輸送船目され目標向けて魚雷を6本発射し命中より目標は爆発した報告した。しかし、戦後の調査ではこれを裏付ける証拠見出せなかった。この頃には硫黄島の戦い終わりつつあり、代わって沖縄戦間近に迫っていた。アメリカ海軍は、日本残存する水上戦力が反撃のため出撃してくるだろうと予想した。そこで、予想進路上に潜水艦配置してピケットライン構成し反撃動き察知しようとした。4月6日予想通り戦艦大和以下の第二艦隊伊藤整一中将)が出撃してきたが、当時テンチ九州西方男女群島近海配置されており、豊後水道大和発見したスレッドフィン (USS Threadfin, SS-410) とは違って何も見なかった。翌4月7日大和撃沈によりピケットライン解散しテンチスレッドフィンなどの参加各艦は再び個別活動戻った4月8日テンチ空母エセックス (USS Essex, CV-9) のパイロット無線士を救助した4月13日テンチ55日間行動終えてグアムアプラ港に帰投艦長トーマス・S・バスケット中佐アナポリス1935年組)に代わった。

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第1の哨戒 1945年2月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/26 15:00 UTC 版)

チャブ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1945年2月 - 4月」の解説

2月13日チャブ最初哨戒南シナ海向かった2月24日サイパン島寄港して補給受けた後、哨区に到着した3月3日チャブ日本潜水艦思われる敵から雷撃受けた回避した3月29日には僚艦フラウンダー (USS Flounder, SS-251) からの情報に基づく護衛艦群を発見し追跡した敵機によって6度にわたる妨害受けたが、チャブ全速力出しなおも食い下がった。しかし、最終的に振り切られた。翌3月30日チャブの上空で空戦があり、味方機が撃墜された。チャブはさっそく3名のパイロット救助したその時、2隻の哨戒艇出現してきたので、チャブその場去ったチャブ南下して哨戒続けた4月12日チャブジャワ海航行中日本二式水上戦闘機発見し潜航直後爆撃を受け潜望鏡油圧系統ダメージ受けたが、これ以上被害はなかった。4月18日チャブ64日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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