第1の哨戒 1945年3月 - 4月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1945年3月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/14 04:57 UTC 版)

ブルヘッド (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1945年3月 - 4月」の解説

1945年3月21日ブルヘッド最初哨戒南シナ海向かった3月31日朝、ブルヘッドはプラタス島へ艦砲射撃行い日本軍通信施設破壊したその後高雄香港間の中国沿岸出撃し、4月16日には墜落したB-29クルーであるアーヴィング・チャーノ、ハロルド・ストゥーム、ロバート・トゥケルの3名を救助した4月24日には、プラタス島に対して再度艦砲射撃行った4月28日ブルヘッド37日間行動終えてスービック湾帰投した。

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第1の哨戒 1945年3月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 21:17 UTC 版)

ティグロン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1945年3月 - 4月」の解説

3月9日ティグロン最初哨戒東シナ海向かった3月19日にグアムアプラ港に寄港同地エンジン修理のため3日停泊し3月21日ブルヘッド (USS Bullhead, SS-332) およびブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) とウルフパック組んで出撃した。部隊ティグロン艦長キャシディ中佐指揮を執った。一行シーホース (USS Seahorse, SS-304) と合流し南シナ海へと進路取った部隊日本船団迎え撃つため偵察ライン形成したシーホース3月24日に B-24 リベレーターに敵と誤認され機銃掃射受けたティグロン3月29日南シナ海最初の敵と遭遇する。敵の隼を回避するため60フィート深度潜航したが、前方バッテリー室で小爆発による上下動感知した敵機小型爆弾投下したことによるものであった。この戦闘では損害を受けることなくティグロン中国沿岸航路帯で哨戒継続した。 続く数日間は、味方航空機発見した輸送船団追ったものの、結局発見できなかった。4月3日以降海南島沖で救助配備任務就いた4月5日ティグロンは再び日本機に爆撃されたものの、回避した4月8日ティグロンは元の位置に戻るため、8キロの距離を引き返し始めた。2分後、ティグロン艦首の先500メートル地点に、敵潜水艦から発射され魚雷航跡しきもの発見ティグロンが左に舵を取ると、魚雷ティグロンから50メートルもないところを通過していった。ティグロン潜航し無音潜航切り替えたまた、ティグロンはこの日に、この方面に配備されていたスヌーク (USS Snook, SS-279) と交信しており、スヌーク同日7時40分には.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯1840東経110度40分 / 北緯18.667度 東経110.667度 / 18.667; 110.667の「ゼブラ」と称され地点にいたことを知らせた。これ以降スヌーク足取り途絶えた4月9日から15日まで、ティグロン引き続き海南島その周辺救助配備任務続けた後、4月16日夜にプラタス島に対して5インチ砲で艦砲射撃行い4月18日にはロック (USS Rock, SS-274) とともにバスコ市街地向けて艦砲射撃行った4月24日ティグロン43日間行動終えてアプラ港帰投潜水母艦アポロ (USS Apollo, AS-25) による修理受けたのち、5月19日サイパン島向けて出航した

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第1の哨戒 1945年3月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:39 UTC 版)

ティランテ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1945年3月 - 4月」の解説

1945年3月3日、ティランテは最初哨戒日本本土海域向かった九州西方巡航したティランテは、長崎への入り口哨戒戦果挙げる3月25日、ティランテは北緯3109東経130度31分 / 北緯31.150度 東経130.517度 / 31.150; 130.517の地点で、蛟竜隊の人員乗せて沖縄島向かっていた特設駆潜艇富士丸関西汽船703トン)を撃沈した3日後の3月28日昼には、北緯3214東経12956分 / 北緯32.233度 東経129.933度 / 32.233; 129.933の地点貨客船名瀬丸(大阪商船、1,218トン)を撃沈した2度目の戦闘では日本軍護衛艦による攻撃で、ティランテは7時間の潜航強いられたものの、無事戦線から離脱したまた、名瀬丸の被雷する様子映像残された。3月31日、ティランテは北緯3111東経130度04分 / 北緯31.183度 東経130.067度 / 31.183; 130.067の地点100トン小型帆船に対して5インチ砲および40ミリ機関砲砲撃行いこれを撃沈した4月1日には二等輸送艦に対して3本魚雷発射したものの命中させることはできなかった。ティランテはすぐに移動し対馬海峡に近い朝鮮半島南岸活動する4月6日の朝に小型漁船との戦闘でこれを拿捕撃沈前に乗組員3人を捕虜とした。翌日ティランテは、小黒島近海ドラム缶貨物甲板積み込んだ2,800トン輸送船思われる船舶破壊した。ティランテは浮上して残骸調査し貨物残骸しがみついていた2名の生存者救助する近く漁船指示した。ティランテの乗員はこの撃沈報告したものの、日本側の戦後資料では撃沈された船を確認することはできなかったが、アメリカ側はこの目標特設駆潜艇多摩丸(三共海運396トンであろうとしている。 この頃アメリカ海軍情報部は日本暗号解読し日本軍動静をほぼ予測していた。傍受した1本の無電に、ティランテの哨戒海域に向かう重要な輸送船団情報含まれていた。この情報に応じて、ティランテは4月9日潜航し船団待ち伏せた。程なくしてティランテは向かってくるタモ53船団発見。2隻を標的選びそれぞれに3本魚雷発射した。2隻の1隻である聖川丸川崎汽船、6,862トン)には命中しなかったが、もう1隻、貨客船日光丸(東亜海運、5,057トン)に命中弾を与え北緯3646東経12336分 / 北緯36.767度 東経123.600度 / 36.767; 123.600の地点撃沈した日光丸は聖川丸とともに台湾産の砂糖帰国する引揚者陸軍兵士および上海からの水兵などを乗せていた。日光丸が沈没すると共に護衛艦反撃移った逆襲を防ぐためティランテは護衛艦の1隻に対して魚雷発射し、後に爆発音聞こえた戦後記録では第102海防艦操舵機に魚雷命中し航行不能陥った記録されている。 ティランテは黄海での哨戒再開し済州島長江河口の間を巡航した間もなく済州島北西部飛揚島にいる輸送船団モシ02船団情報受け取る。これを受けてティランテは夜に紛れて接近開始した輸送船団停泊中の海域浅海だったため、潜航攻撃での不利を予期して浮上したまま戦闘配置令し銃砲人員配置して接近していった。ティランテは敵のレーダー哨戒機および哨戒艇避けて大きく迂回しつつ北東方向から湾に侵入し、ティランテは3つの目標貨客船寿山丸(大連汽船、3,943トン)と2隻の海防艦能美および第31海防艦発見。他に海防艦三宅、第213海防艦も在泊中だった。ティランテが湾内侵入したときは、丁度三宅に代わって第31海防艦湾口哨戒配備就いたところであり、ティランテは海防艦からわずか20メートルの距離を、相手気付かれ通過していった。 4月14日未明、ティランテはまず寿山丸に対して3本魚雷発射した魚雷命中、大爆発起こし炎上する火炎によってティランテはその姿を照らし出され能美と第31海防艦はティランテの方に向かった。ティランテは全速力外洋向かいつつ、艦首発射管から追跡する敵艦に対して放射状魚雷を2本発射魚雷能美命中し能美瞬時爆沈能美乗艦していた第一海防隊司令池田海軍大佐戦死した。第31海防艦引き続きティランテを追跡。ティランテは最後に残った艦尾魚雷1本を第31海防艦向けて発射魚雷命中したものの不発であり、ここまではティランテにとっては不運だった。しかし、命中ショックで第31海防艦爆雷庫に火災発生。第31海防艦横転して沈没したミッドウェー島への帰路途中、ティランテは日本軍パイロット2名を捕らえ捕虜合計で5名となった4月26日、ティランテは52日間行動終えてミッドウェー島帰投。ティランテの輝かし戦績により、艦長ストリート中佐名誉勲章受章することとなった副長エドワード・L・ビーチ英語版中尉海軍十字章受章した。艦自体殊勲部隊章受章した

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