第1の哨戒 1944年9月 - 11月
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「シードッグ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年9月 - 11月」の解説
9月13日、シードッグは最初の哨戒で東シナ海に向かった。17日にミッドウェー島で給油し、哨戒海域の南西諸島には9月28日に到着した。シードッグはまず喜界島と奄美大島の海岸に沿って哨戒したが、良い成果が得られそうになかったので、わずか1日で沖永良部島から運天港にかけての海域に移動した。10月3日からは中城湾方面の偵察を行い、沖縄島を一周して10月6日には伊平屋島北西海域に到着した。シードッグは以後5日間、沖縄近海で哨戒を続けたが、遭遇した目標はいずれも魚雷を使うには勿体無いものばかりであった。10月10日、シードッグは炎上中の武装トロール船を発見し、接近したのち砲撃を加え、そのまま放置した。10月11日に奄美群島海域に戻り、1週間後にはトカラ列島北方の海域に移動した。 10月22日朝、シードッグは諏訪之瀬島と中之島の間で、8ノットから9ノットの間で5分間隔でジグザグ航行し、那覇に向かっているカタ916船団を発見。7時26分、船団前方に出ていたシードッグは北緯29度18分 東経129度44分 / 北緯29.300度 東経129.733度 / 29.300; 129.733の地点で、重なり合った2隻の貨物船に照準を合わせて魚雷を発射。魚雷発射後、深度を26メートルに下げた。7時28分以降、3回の大爆発を聴取し、7時32分になると護衛艦による爆雷攻撃が始まった。それらは7時45分ごろまで続き、8時に重い爆発音を聴取した。この攻撃で、シードッグは日本海軍の特務艦室戸と特設砲艦富津丸(大阪商船、2,933トン)の2隻を撃沈した。シードッグはトカラ列島海域でもう2日間哨戒したあと、奄美群島近海に戻ってきた。 10月28日、シードッグは北緯28度35分 東経131度28分 / 北緯28.583度 東経131.467度 / 28.583; 131.467の地点で、レイテ沖海戦に敗れ去った小沢治三郎中将率いる機動部隊の残存艦である伊勢、日向と駆逐艦を発見し、攻撃したが失敗した。10月29日、シードッグは哨戒海域を徹してミッドウェー島に向かい、翌30日には小笠原諸島近海で哨戒した。11月5日、シードッグは53日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。潜水母艦プロテウス (USS Proteus, AS-19) による整備を受けた。
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第1の哨戒 1944年9月 - 11月
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「バーゴール (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年9月 - 11月」の解説
9月8日、バーゴールは最初の哨戒で南シナ海に向かった。サイパン島を経由した後、哨区に到着。10月13日、バーゴールは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯11度53分 東経109度17分 / 北緯11.883度 東経109.283度 / 11.883; 109.283のインドシナ半島沖で海軍徴用船神州丸(巴組汽船、4,180トン)を撃沈した。バーゴールは南下し、バラバク海峡方面に移動した。10月27日、バーゴールは北緯07度17分 東経116度45分 / 北緯7.283度 東経116.750度 / 7.283; 116.750のバラバク海峡南西沖で、2隻のタンカーと4隻の護衛艦からなる船団を発見した。これは、レイテ沖海戦に参加した志摩艦隊に対する補給のためにコロン湾に向かったものの、戦況の変化に伴いスールー海からブルネイに引き返す途中の補給部隊であった。バーゴールはタンカーに向けて魚雷を発射し、日邦丸(飯野海運、10,528トン)を撃沈し、厳島丸(日本海洋漁業、10,006トン)を撃破した。11月8日、バーゴールは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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