第1の哨戒 1944年7月 - 9月
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「ハードヘッド (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1944年7月 - 9月」の解説
7月27日、ハードヘッドは最初の哨戒でフィリピン方面に向かった。8月18日2時40分、ハードヘッドは北緯12度05分 東経129度26分 / 北緯12.083度 東経129.433度 / 12.083; 129.433のサンベルナルジノ海峡東方において、パラオに対する輸送作戦に従事中の日本海軍の軽巡洋艦名取と第3号輸送艦を発見、海上攻撃のため接近した。ハードヘッドは最初の攻撃で名取の右舷に魚雷1本を命中させて停止させ、3時30分の2度目の攻撃で魚雷2本を発射し、うち1本を名取の後部に命中させたが不発だった。名取は7時5分に沈没した。哨戒の残りは、フィリピン沖で第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の艦載機に対する救助任務、およびパラオ攻撃における偵察活動に従事した。9月26日、ハードヘッドは60日間の行動を終えてオーストラリアのフリーマントルに帰投。艦長がフランシス・A・グリーンアップ(アナポリス1936年組)に代わった。
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第1の哨戒、1944年7月 - 9月
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「スペードフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒、1944年7月 - 9月」の解説
7月23日、スペードフィッシュは最初の哨戒でピクーダ (USS Picuda, SS-382) およびレッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。8月19日、スペードフィッシュはルソン島北西海岸沖合いのフィリピン海域で哨戒中、マニラに向かうヒ71船団を発見。ヒ71船団は2日前の8月17日から他の潜水艦の猛攻により、ここまで空母大鷹と貨客船帝亜丸(帝国船舶、元フランス船アラミス/日本郵船委託、17,537トン)がラッシャー (USS Rasher, SS-269) に撃沈されていた。スペードフィッシュはラッシャーが帝亜丸を撃沈した後に攻撃し、4時30分、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯18度49分 東経119度47分 / 北緯18.817度 東経119.783度 / 18.817; 119.783の地点で船団と離れて単独航行中の陸軍特殊船玉津丸(大阪商船、9,590トン)に対して魚雷を2本発射。魚雷は2本とも玉津丸の右舷に命中し、玉津丸は10分で沈没。この後、ブルーフィッシュ (USS Bluefish, SS-222) が給油艦速吸を撃沈し、タンカー帝洋丸(日東汽船、9,849トン)もまた沈没。ヒ71船団は玉津丸乗船中の第26師団将兵のほとんどが戦死するなど、手痛い損害を被った。3日後の8月22日、スペードフィッシュはバブヤン海峡を南下しルソン島北部海岸沿いに接岸航行中のタマ24A 船団を発見し追跡、接近した上で12時10分にタンカー第二八紘丸(日本油槽船、10,022トン)に対して魚雷を2本発射。船首と船体中央に魚雷の命中を受けた第二八紘丸は、バサレン湾に座礁した。この攻撃では、駆逐艦に護衛されたもう1隻のタンカーに損傷を与えたとも判断された。翌日、スペードフィッシュは座礁中の第二八紘丸に止めを刺さんと接近し、護衛の駆逐艦夕凪をはねのけて魚雷を4本発射。しかし、魚雷は途中で沈没したりして命中しなかった。スペードフィッシュは爆雷攻撃を受けたが、大したことはなかった。第二八紘丸は、搭載の魚雷艇を後続船団に移した上で放棄され、護衛の夕凪はピクーダの攻撃で撃沈された。スペードフィッシュは手持ちの魚雷が3本だけになったので、一旦哨戒を中断し、補給のためサイパン島タナパグ港に向かい、8月29日に入港して補給後に哨戒を再開した。 9月8日、スペードフィッシュは北緯24度45分 東経123度20分 / 北緯24.750度 東経123.333度 / 24.750; 123.333の石垣島南西沖で門司に向かうタカ808船団を発見。スペードフィッシュは大胆な浮上攻撃をかけ、22時5分に船団最後列の日安丸(日産汽船、6,197トン)と日満丸(東亜海運、1,922トン)を撃沈し、1時間後には神天丸(大阪商船、1,254トン)と昭慶丸(東和汽船、2,557トン)を撃沈した。翌朝には、損傷した船を護衛中の護衛艦に対して魚雷を4本発射したが、魚雷は目標の下を通過していき、スペードフィッシュはお返しの爆雷の雨を降らされた。スペードフィッシュはこの攻撃で魚雷を使い果たしたが、石垣島の泊地に、前夜攻撃した船団の残りが、5隻の護衛艦とともにとどまっているのを目撃した。スペードフィッシュはこの哨戒で6隻31,500トンの戦果を、ウルフパックの他の潜水艦が33,000トンの戦果をそれぞれ挙げ、戦果総計は13隻64,000トン以上となった。9月24日、スペードフィッシュは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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