第1の哨戒 1943年11月 - 12月
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「アポゴン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年11月 - 12月」の解説
11月3日、アポゴンは最初の哨戒でトラック諸島方面に向かった。当時、ギルバート諸島攻略のためのガルヴァニック作戦が進められており、アポゴンを含んだいくつかの潜水艦はその支援を行った。アポゴンの哨戒海域は春島(モエン島)から半径110キロの海域を含み、トラックからクェゼリン環礁間の大洋航路に沿ったものであった。11月5日にジョンストン島で給油した後、哨戒海域に到着した。この哨戒を通じて、アポゴンは少なくとも4つの接触を持ち、うち3度の攻撃機会が得られた。その1つは、12月4日にポンペイ島北東250キロ地点で発見した、マーシャル諸島に向かう途中の5012船団に対する攻撃であり、アポゴンは特設砲艦大同丸(大阪商船、2,962トン)を撃沈した。12月18日、アポゴンは45日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投、さらに12月26日に真珠湾に回航された。
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第1の哨戒 1943年11月 - 12月
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「レイトン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1943年11月 - 12月」の解説
11月13日、レイトンは最初の哨戒でビスマルク諸島、ソロモン諸島およびニューギニア方面に向かった。11月20日にツラギ島に寄港。11月26日午後、レイトンは北緯00度40分 東経148度20分 / 北緯0.667度 東経148.333度 / 0.667; 148.333のムッソウ島の西側の航行中に、2隻の輸送船を中心に2隻の駆逐艦と思しき艦艇と二式水上戦闘機の護衛がついた輸送船団を発見した。レイトンは船団を追跡しその夜に魚雷を5本発射し、特設運送船(給兵)尾上丸(日本郵船、6,667トン)に魚雷を命中させてこれを撃沈した。しかし、護衛艦の反撃に遭い別の輸送船に4度も接近して攻撃しようとしたが、ついに成功しなかった。11月28日、レイトンは北緯01度45分 東経141度52分 / 北緯1.750度 東経141.867度 / 1.750; 141.867のニューギニアのアイダペ(英語版)北方500キロ地点でパラオからラバウルに向かうオ306船団を発見し、魚雷を6本発射。10時9分、魚雷は陸軍輸送船百合丸(大阪商船、6,787トン)に3本が命中して百合丸を轟沈させ、これとほぼ同じ時刻に陸軍輸送船北光丸(山下汽船、4,928トン)の船尾に魚雷を命中させて撃沈した。3隻目の陸軍輸送船ころんびあ丸(三菱汽船、5,617トン)にも魚雷が向かったが回避された。レイトンはオ306船団になおも食いつき、魚雷を三度にわたって4本ずつ、計12本発射したが、すべて回避された。護衛艦の激しい爆雷攻撃を受けたレイトンは深深度潜航で退避したのち、夜になって再び船団を追撃した。しかし、この時点でレイトンに残された魚雷はわずかであったので支援を求め、近くにいたガトー (USS Gato, SS-212) がこれに応じ、攻撃に加わった。しかし、依然として護衛艦の警戒が厳しかったので、レイトンは護衛艦を引きつける役を自ら引き受け、レイトンは第39号駆潜艇と浮上砲戦を交わした。レイトンが護衛艦を誘き出したことによって、ガトーは隙を突いて11月30日にころんびあ丸を撃沈することができた。12月6日、レイトンは24日間の行動を終えてミルン湾に帰投。潜水母艦フルトン(英語版) (USS Fulton, AS-11) による修理を受けた。
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