第1の哨戒 1942年6月 - 7月
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「グロウラー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1942年6月 - 7月」の解説
グロウラーは就役直後にミッドウェー海戦に参加し、オアフ島近海で哨戒した。 6月20日、グロウラーは最初の哨戒でアリューシャン列島方面に向かった。ミッドウェー島で給油の後、キスカ島の周辺海域で哨戒を開始する。7月5日未明、グロウラーは北緯52度01分 東経177度44分 / 北緯52.017度 東経177.733度 / 52.017; 177.733のキスカ島沖で小艦隊と遭遇する。この小艦隊は陸戦隊を乗せた特設運送船あるぜんちな丸(大阪商船、12,755トン)と水上機母艦千代田を護衛した後、縦陣で仮泊していた第十八駆逐隊の駆逐艦霰、霞、不知火であり、折からの濃霧のため、投錨位置が予定と大幅に異なって湾外に位置していた。グロウラーはまず先頭と二番艦に魚雷を1本ずつ発射し、そして三番艦に魚雷2本を発射した。三番艦に向けて発射した魚雷は、1本目は外れたものの、2本目が前檣下に命中するのを確認した。魚雷発射管を吹き飛ばされた霰は主砲で反撃を試みたが、逆にもう1本魚雷を撃ち込まれ船体をV字に折られて沈没。霞は艦首一番砲塔下に命中、浸水と大火災が発生し艦首が右に屈曲沈下し、即時の自力航行や曳航が不可能なほど大破。不知火も第一缶室に被雷し第一、第二缶室が浸水した上、後甲板も屈曲しこれまた即時の自力航行や曳航が不可能なほど大破した。両艦とも復旧までに1年強も費やす結果となり、第十八駆逐隊司令が責任を取って自決する羽目となった。グロウラーは大した反撃すら受けることなく哨戒を続けた。2日後の7月7日には、キスカ島マッカーサーリーフ周辺を哨戒中に、この海域を警戒中の駆逐艦若葉と初春による爆雷攻撃を受けるが、被害はなかった。7月17日、グロウラーは27日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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