第1の哨戒 1942年10月 - 11月
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「ホエール (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1942年10月 - 11月」の解説
10月9日、ホエールは最初の哨戒で日本近海に向かった。ミッドウェー島で給油の後、10月25日に担当哨戒に到着。この海域でホエールは、陸地から20マイル離れたところに機雷を敷設するよう命じられていた。10月25日、ホエールは予定通りに紀伊水道に敷設を行い、これはアメリカ軍が日本近海で機雷を敷設した最初の記録となった。敷設した翌日の10月26日、特設運送船霧島丸(国際汽船、8,120トン)が.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度48分 東経135度10分 / 北緯33.800度 東経135.167度 / 33.800; 135.167の日ノ御埼沖で触雷し、機雷敷設が日本側に知れ渡ることとなった。日本側は23個の機雷を確認し、捕獲した現物は横須賀海軍工廠に送られた。霧島丸が触雷する数時間前、ホエールは北緯33度40分 東経135度18分 / 北緯33.667度 東経135.300度 / 33.667; 135.300の地点で複数の輸送船を発見し、まず9,400トン級貨客船に対して魚雷を2本発射し、うち1本が命中したと見るや3本目の魚雷を発射し、これも命中したと判断される。続いて、最初の目標に続行していた5,000トン級中型輸送船に対しても魚雷を1本発射し、これも命中したと判断された。やがて3番目の目標である7,500トン級輸送船と4番目の輸送船に対しても魚雷を2本発射したが、その結果は定かではなかった。このように次々と攻撃し、何度か魚雷の爆発音が聞こえ、観測してみると1隻はひどく傾いているように見えたが、実際には輸送船博進丸(大連汽船、1,482トン)が雷撃を受けたものの被害はなかった。10月27日から28日にかけては豊後水道の入口付近、足摺岬と室戸岬間の高知の南方海上で哨戒を行う。10月30日、ホエールは北緯33度34分 東経135度23分 / 北緯33.567度 東経135.383度 / 33.567; 135.383の地点で敷設艇成生に護衛された2隻の輸送船を発見し、成生と特設運送船玉島丸(飯野海運、3560トン)に対して魚雷を2本ずつ計4本発射したが、成生の爆雷攻撃によりホエールは少なからずダメージを負い、成生の追跡は以後17時間も続いた。ホエールは360フィートの深度に潜み、何とか反撃から逃れることができた。11月10日、ホエールは32日間の行動を終えて真珠湾に帰投。1943年1月2日まで修理が行われた。
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