第1の哨戒 1941年11月 - 1942年1月
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「アルゴノート (SS-166)」の記事における「第1の哨戒 1941年11月 - 1942年1月」の解説
1941年11月28日、スティーブン・G・バーチェット艦長(アナポリス1924年組)指揮下のアルゴノートは真珠湾を出航。ミッドウェー島付近を偵察し、日本軍による真珠湾攻撃時にはミッドウェー島沖を巡航中だった。12月7日の日没後、浮上したアルゴノートはミッドウェー島付近での砲撃音を聞く。それは日本軍上陸部隊によるものと考えられた。アルゴノートは潜航し、ソナーで「侵攻部隊」の動向を探った。アルゴノートは攻撃型潜水艦ではなく、機雷敷設艦として設計されたが、敵部隊に対する最初の戦時アプローチを行った。「侵攻部隊」は日本海軍の駆逐艦潮と漣で、12月8日18時ごろから30分間ミッドウェー島に対する艦砲射撃を行っていた。敵艦はアルゴノートを発見したかもしれず、1隻は側を通過した。2隻はアルゴノートが再び接触する前に砲撃を終え後退した。一週間後、アルゴノートは3隻から4隻の日本の駆逐艦と接触したが、バーチェット艦長は攻撃を行わないことを決定した。1942年1月22日、アルゴノートは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。数日間停泊した後メア・アイランド海軍造船所に回航され、輸送潜水艦への転換作業に入った。この間、艦長がジョン・R・ピアース(アナポリス1928年組)に代わった。
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