第1の哨戒 1942年2月 - 4月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第1の哨戒 1942年2月 - 4月の意味・解説 

第1の哨戒 1942年2月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:38 UTC 版)

グランパス (SS-207)」の記事における「第1の哨戒 1942年2月 - 4月」の解説

2月8日グランパス最初哨戒マーシャル諸島方面向かった2月17日ウォッジェ環礁を、2月18日クェゼリン環礁それぞれ偵察クェゼリン環礁敷設艦常磐大型商船大型潜水艦が在泊していることを確認した2月27日深夜には北緯0452東経15208分 / 北緯4.867度 東経152.133度 / 4.867; 152.133の地点で、ウォレアイ環礁からクェゼリン環礁向かっていた海軍徴傭龍田丸日本郵船16,975トン)を発見し水上攻撃にて魚雷3本発射しようとしたが、方位盤ミスにより魚雷発射できず攻撃失敗した3月1日夕刻には建川丸川崎汽船10,091トン)級タンカーに対して魚雷3本発射する命中せず3月2日にも警備艇に対して魚雷を1本発射したが、これも命中しなかった。3月3日には商船に対して魚雷を4本発射したが、3日連続またもや命中しなかった。3月5日グランパス北緯0452東経15120分 / 北緯4.867度 東経151.333度 / 4.867; 151.333の地点特設運送船給油第二海城丸(日東汽船、8,636トン)を撃沈した3月23日クェゼリン環礁を、3月27日ウォッジェ環礁を再び偵察した4月4日グランパス48日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第1の哨戒 1942年2月 - 4月」の解説は、「グランパス (SS-207)」の解説の一部です。
「第1の哨戒 1942年2月 - 4月」を含む「グランパス (SS-207)」の記事については、「グランパス (SS-207)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第1の哨戒 1942年2月 - 4月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第1の哨戒 1942年2月 - 4月」の関連用語

第1の哨戒 1942年2月 - 4月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第1の哨戒 1942年2月 - 4月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのグランパス (SS-207) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS