第1の哨戒 1941年12月
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「スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1941年12月」の解説
当時、ハワイ水域では駆逐艦リッチフィールド (USS Litchfield, DD-336) が警戒していた。スレッシャーは8時10分に日本軍機によって真珠湾が攻撃されたとの知らせを受け、ただちに戦時哨戒体制に切り替えて警戒を強めた。リッチフィールドは、やがてやってくるであろうスレッシャーとの会合が試みられ、その予定時刻に実際に会合するはずであった。しかし、スレッシャーは日本海軍の潜水艦と誤認されていた。リッチフィールドと同じく出港していた駆逐艦が向かってくるのが見え、スレッシャーは砲撃を受けた。砲弾はスレッシャーの司令塔の表面を破壊。スレッシャーはたまらず潜航した。その後、スレッシャーは真珠湾への入港を試みたものの、哨戒機から対潜爆弾を投下され入港できず、最終的には駆逐艦改造の水上機母艦ソーントン (USS Thornton, AVD-11) の誘導でようやく入港し、最初の哨戒を終えた。
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第1の哨戒 1941年12月
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「スタージョン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1941年12月」の解説
12月8日、スタージョンは最初の哨戒で台湾および澎湖諸島方面に向かった。12月9日の午後に小型タンカーを観測するが、射程外であった。12月18日、スタージョンは5隻の商船および護衛の巡洋艦と数隻の駆逐艦からなる船団を発見する。巡洋艦の射程内で潜望鏡深度に浮上したが、250ヤード遠方の護衛艦により発見される。スタージョンは潜航したが65フィートまでしか深度を取れず、敵の爆雷攻撃で多数の電球が破裂したものの、深刻な損傷は負わなかった。スタージョンは無音で潜航し、敵の攻撃を回避した。12月21日の夜、スタージョンは大型貨物船と思われる船を観測する。後部魚雷発射管から放射状に魚雷を発射したものの、貨物船の速度は予想よりも速かったため全弾が外れた。12月25日、スタージョンは17日間の行動を終えてマリベレス(英語版)に帰投した。
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第1の哨戒 1941年12月
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「ソードフィッシュ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1941年12月」の解説
真珠湾攻撃の翌日である12月9日、ソードフィッシュは最初の哨戒で海南島およびインドシナ半島方面に向かった。12月9日、11日および14日に敵艦数隻を攻撃し、特に14日の攻撃では、陸軍輸送船香椎丸(国際汽船、8,407トン)を撃破した。12月16日、ソードフィッシュは北緯18度16分 東経109度44分 / 北緯18.267度 東経109.733度 / 18.267; 109.733の地点で、三亜から広東に向かっていた陸軍輸送船熱田山丸(三井船舶、8,660トン)を撃沈した。これは第二次世界大戦においてアメリカ軍が日本商船を沈めた初の戦果であった。12月27日、ソードフィッシュは19日間の行動を終えてマニラに帰投。日本軍がマニラに迫りつつあったので、間もなくアジア艦隊潜水艦隊司令官ジョン・E・ウィルケス(英語版)少将以下司令部のスタッフを乗せジャワのスラバヤに向かい、1942年1月7日に到着した。
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