第1の哨戒 1941年11月 - 12月
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「タンバー (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1941年11月 - 12月」の解説
11月19日、タンバーは平時哨戒のためウェーク島近海に向かった。哨戒中の12月8日に真珠湾攻撃があり、哨戒は戦時体制に切り替えられた。12月10日には、ウェーク島の戦いで艦砲射撃を行う日本艦隊からの閃光も発見した。しかし、エンジンの不調があり哨戒は打ち切られた。12月23日、タンバーは35日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所に回航され修理を受け、1942年3月に真珠湾に戻ってきた。
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第1の哨戒 1941年11月 - 12月
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「トラウト (SS-202)」の記事における「第1の哨戒 1941年11月 - 12月」の解説
11月29日、トラウトは戦時哨戒の訓練のためミッドウェー島近海に向かった。担当海域では航空機に発見されないよう、日中は潜航して哨戒していた。12月7日朝、トラウトは真珠湾攻撃を伝える伝言を受け取った。その夜、トラウトは2隻の駆逐艦がミッドウェー島に砲弾を浴びせるのを観測した。この駆逐艦は潮と漣であり、 潮、漣とトラウトの間は約10マイルも離れていた。トラウトは全速力で潮と漣を追ったが、その前に2隻は去っていった。トラウトは戦闘機会がないまま哨戒を続けた。12月20日、トラウトは22日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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