第1の哨戒 1941年12月 - 1942年2月とは? わかりやすく解説

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第1の哨戒 1941年12月 - 1942年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 16:09 UTC 版)

シードラゴン (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1941年12月 - 1942年2月」の解説

12月30日シードラゴン最初哨戒インドシナ半島沖の南シナ海向かった哨戒海域では侵攻する日本船団探索行った1月8日シードラゴンカムラン湾への航路帯を哨戒する。その2日後、敵駆逐艦観測し、2本の魚雷発射したもののいずれも命中しなかった。駆逐艦そのままコース進んだものの、潜水艦対す反撃は行わなかった。シードラゴンは同海域留まり正午直後船団推進音を観測する1時間半後に船団視認し、最後の船に対して接近始めた13直後魚雷発射したものの外れ、再び攻撃態勢接近試みたしかしながら1時間以内船団安全にカムラン湾入港したシードラゴン東方後退し日没後に浮上して充電を行う。その後駆逐艦観測しシードラゴン気づかれないように海域離脱しようとしたものの、駆逐艦サーチライト照射したシードラゴン潜航し駆逐艦による2度爆雷攻撃回避して東方移動した1月12日午前日本軍哨戒機回避費やされた。午後に6隻の船からなる船団接近するしかしながら最終確認のため潜望鏡深度浮上すると、上空に点を確認する。3発の爆弾投下されたがシードラゴン潜航し、再び東方移動した18時過ぎシードラゴン浮上して先の爆撃による被害がないか調査した。幸い、塗装多少剥がれていたものの、その他の被害見られなかった。とはいえ所々に赤が入った黒塗りの艦塗装は、浅い水域潜航しても敵は容易に発見でき不利だった。そこでシードラゴンは、航空機頻繁に哨戒しているであろう海域では、43メートル(140フィート)から61メートル200フィート)の水深航行することとなった1月14日にはバレラ岬沖を哨戒し、翌1月15日には南下して敵を求めた。そして1月16日1115分シードラゴン輸送船団発見した。しかし、潜望鏡深度にしたときに上空から発見され爆撃されシードラゴン深く潜航しバレラ方面戻った。それからの6日間シードラゴンはいくつかの目標発見したものの、運悪く魚雷命中しなかった。1月23日明け方シードラゴンは4隻からなる輸送船団発見し追跡。8時6分シードラゴン船団の一番船向けて魚雷発射魚雷は一番船左舷船尾命中続いて魚雷を2本発射したが、これは命中しなかった。三番船と四番船は東南方と西方それぞれ逃げ二番船は海岸向かって航行し、やがて船尾沈めて停止したシードラゴン三番船を追い求めて浮上したが、敵航空機発見したため、攻撃諦め潜航したシードラゴンその後4日間はインドシナ半島沿岸哨戒し、次いでルソン島針路向けた1月29日新し哨戒海域到着しスービック湾からリンガエン湾にいたる海岸沿いに哨戒した。2月1日シードラゴンサンフェルナンド沖で哨戒。翌2月2日早朝シードラゴンは5隻からなる輸送船団発見し潜航魚雷発射し4番手で航行していた陸軍輸送船多摩川丸(東洋海運、6,441トン)に命中させてこれを撃沈した攻撃後、シードラゴンは南に向かい2月4日夜にマニラ湾入った22時3分、シードラゴンは艦を係留し、翌2月5日3時までに23本の魚雷無電装置3,000基、部品スペア4,000個を積み込んだ作業終了後シードラゴン離岸日没まで海中待機した日没浮上しコレヒドール島接近25名の要員上陸させた。その中には、ルドルフ・フェビアン少佐指揮官とする暗号解析班のメンバー17名が含まれていた。一連の作業終えシードラゴン1946分にコレヒドール島を後にしてオランダ領東インド方面針路向けた2月13日シードラゴン45日間行動終えてスラバヤ帰投その後間もなくジャワ島南岸のチラチャップ(英語版)に移動することとなり、2月21日到着したが、日本軍圧力強まってきたため、オーストラリアに下がることが決定3月4日フリーマントル到着した

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第1の哨戒 1941年12月 - 1942年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:57 UTC 版)

トートグ (潜水艦)」の記事における「第1の哨戒 1941年12月 - 1942年2月」の解説

12月26日トートグ最初哨戒マーシャル諸島方面向かったトートグはこの哨戒で、1942年1月4日ビカール環礁偵察したのを皮切りにビキニ1月6日)、ロンゲラップ(1月7日および17日)、ウォット(英語版)(1月8日)、バトおよびクェゼリン1月9日から16日)の各環礁偵察クェゼリンでは5,000トン貨物船双発機およびトロール船発見したが、他の環礁では目ぼしい活動確認されなかった。1942年1月13日トートグ敷設艦常磐あるいは迅鯨型潜水母艦目され艦艇に対して魚雷3本発射した結果確認できず、逆に制圧受けた2月4日トートグ41日間行動終えて真珠湾帰投修理のためメア・アイランド海軍造船所回航された。修理後トートグ4月9日同地出航真珠湾戻った

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