D事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:48 UTC 版)
「大阪連続バラバラ殺人事件」の記事における「D事件」の解説
C事件後、加害者Kは1989年(平成元年)10月・1991年(平成3年)8月と窃盗罪で2度の実刑判決を受け、1993年(平成5年)3月まで刑務所に服役したが、出所後に2件の殺人を犯した。遺棄現場は箕面市上止々呂美のヒノキ林で、C事件の遺棄現場付近を走る林道を約3キロメートル南に下った場所に位置していた。 1993年(平成5年)7月24日ごろ、加害者Kは自宅アパートでスナック従業員の女性D(当時45歳・大阪市西成区天下茶屋東一丁目に在住) から金銭支払いを求められ、両手でDの首を絞めて絞殺。被害者Dの遺体をのこぎりなどで切断し、大阪府箕面市上止々呂美の山中に遺棄した。 1994年4月4日、E事件の遺体発見を受けて遺棄現場周囲を捜索していた箕面警察署捜査本部の捜査員が E発見現場から約150メートル北側の府道脇林内で白骨死体を発見し、7月24日に歯の治療痕などから身元を特定された。
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D事件(第4の事件)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:12 UTC 版)
「広島タクシー運転手連続殺人事件」の記事における「D事件(第4の事件)」の解説
事件発生:1996年9月14日2時10分ごろ(殺害時刻) 被害者:主婦D(事件当時32歳・広島市中区鶴見町在住) - 加害者Hとは事件前に何度か遊んだことがある間柄で、Hからは「アイちゃん」の愛称で呼ばれていた。事件6年前(1990年)に前夫と離婚したが、その前に生まれた娘2人とマンションで暮らしており、事件当時はナイジェリア人の男性と再婚していた。 殺害現場:広島県広島市佐伯区五日市町大字上河内・広島県道41号五日市筒賀線路上(殺害現場)。 死体遺棄現場:広島県佐伯郡湯来町葛原(現:広島市佐伯区湯来町大字葛原)・国道433号旧道東側法面(遺体遺棄現場)広島駅から北西約25 kmの山間部で国道433号・広島県道41号五日市筒賀線(魚切ダム付近を経由)の交差点から南方約3.5 km地点の田畑・民家が点在する田園地帯。現場付近は旧道に並行して新道が走っており、旧道から1 mほど斜面を下った草むらで遺体が発見された。 HはC事件後に「今までに3人も殺した以上はもし警察に逮捕されたら間違いなく死刑になる」と恐怖していた一方、被害者Aの遺体が発見されて以降は事件について続報がなく、B・C両被害者の殺害に関してはこの時点で発覚すらしていなかったため「俺は超人ではないか?絶対に捕まることはないだろう」と自信を持った。また「自分には嫌疑が掛けられず、小遣い稼ぎもできる」という理由だけでなく、殺害行為に一種の快感を感じるようになっていたため、4人目に殺害する女性を探しながらタクシー乗務を続けていた。 C事件から1週間が経過した1996年9月13日22時ごろ、Hは「3人殺そうが4人殺そうが大して変わらない」などと考えつつ、広島市中区内でタクシーに(被害者Dとは別の)女性客を乗車させた。一方で被害者女性Dは同じく22時ごろに中区銀山町の路上で目撃された後、14日0時前後に近所の知人女性へ封筒に入れた現金数万円を「物騒だから預かってほしい。朝には受け取りに来る」と預けていた。Hは前述の女性客を約2時間待った末に見逃してしまったために売上金が少なく、目標の運賃収入に届かなかったため「今日中に売春婦を殺して金を奪いたい」と決意し、偶然見かけた被害者女性Dを新たな標的に決めた。Hは一度Dに声を掛けてタクシーに乗車させ、停車した車内で10分ほど話をしたが、缶ビールを購入するためにいったん車外に出てから車に戻るとDが姿を消していた。Hは「逃げられた」と舌打ちしたが、日付が変わった1996年9月14日0時すぎにホテルの前で再び被害者Dと邂逅し、4万円を提示してDから性行為をする了承を得ると、「今夜はちょっと遠くに行ってやろう」とタクシーを発進させ、殺害現場へ向かう途中でコンビニに立ち寄って被害者Dに缶ビール・つまみを購入させた。そしてHはDを交通量がほとんどない佐伯区のダム付近で殺害することを決意し、その近くのラブホテルで性行為をした。 Hは1時50分ごろにDとともに2人でホテルを出ると、タクシーの後部座席にDを乗車させて廿日市市方面へ向かい、1996年9月14日2時すぎに人気のない田舎道(殺害現場)でタクシーを停車した。その上でA・B両事件の時と同じく燃料切り替えスイッチでエンジンを停止させてエンストを装い、タクシーのエンジンの仕組みを知らない被害者Dを油断させ、Dに「足元のシートをめくってほしい」と申し出た。そしてDが屈みこんでいる間にネクタイをほどいたところ、Dが顔を上げて「なんか怖い」と言ったため、HはDに笑みを浮かべながらネクタイを座席に掛けた。しかしDが「一人で帰る」と言い出してタクシーのドアを開けて車外へ飛び出したため、Hは「警察に駆け込まれたら終わりだ」と思ってタクシーを急発進させ、被害者Dを追いかけながら「ちゃんと(家まで)送るから乗ってくれ」と声を掛けたが、Dは走って逃げながらショルダーバッグから1万円札4枚(現金40,000円)を取り出し「もうお金はいらないから」と叫びながらHに投げつけた。これに逆上したHはタクシーを加速させて被害者Dの前に回り込むと、車外に出てDの行く手を塞ぎ、立ちすくんでいたDの襟首を掴み、売春婦を脅すためにあらかじめ準備していた果物ナイフ(刃渡り約11 cm)を被害者Dに突き付けた。そしてDを後部座席に連れ込み、右拳でDの顔面を計10発近く殴りつけて失神させると、Dの首をネクタイで絞めて殺害した。 Hは被害者Dが所持していた現金約56,000円・携帯電話を奪ったほか、「タクシーの座席がDの血液・(失禁した)糞尿で汚れてはまずい」と考えたため、Dの遺体の首に巻き付けたネクタイの両端を天井側部の手すりに結び付け、遺体を首吊りの格好で天井に固定した状態でタクシーを移動させた、そして2時40分ごろ、Hは広島県佐伯郡湯来町葛原(現:広島市佐伯区湯来町大字葛原)の国道433号旧道沿い草むらにDの遺体を投げ捨てるようにして遺棄した。Hは犯行後の14日4時ごろにタクシーで広島市東区内の会社へ戻り、タクシー後部座席の客用シーツを新品と交換した上で古いシーツを持ち帰り、自分の自家用車で帰宅した。その後、翌日(1996年9月15日)も普段通り4時ごろに出勤して広島市内を中心に乗務していた。
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