事件発生から被疑者逮捕まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:45 UTC 版)
「埼玉愛犬家連続殺人事件」の記事における「事件発生から被疑者逮捕まで」の解説
A失踪翌日の1993年4月21日、家族から埼玉県警行田警察署に捜索願が出された。当初は単なる家出人と見られていたものの、30日に八重洲地下駐車場で乗り捨てられたAの車が発見されたことから、県警が事件性を察知して捜査に乗り出した。家族の話から、AがSとトラブルを抱えていたことがわかり、またSの周辺ではその9年前にも連続失踪事件が起きていたことから、県警はSやYに対し、監視や尾行を行うようになった。ところが、Sらは捜査の目をかいくぐって、B・C事件、D事件を起こすに至った。いずれの事件も、不明者がSと会った直後に失踪していることから、同年秋頃からは県警が本格的な捜査に着手した。Sらの監視を強化し、Sの知人に対しては、1人でSと会わないよう忠告した。しかし、物証が発見できないために、Sらを逮捕することはできなかった。新犬舎建設をめぐって、建設業者へ支払う代金を踏み倒したとの詐欺容疑で、捜査二課がSの別件逮捕を試みたこともあったが、この時点では殺人事件の立証は困難と判断され、見送られた。 1994年1月26日、大阪愛犬家連続殺人事件の被疑者が逮捕された。本事件とは無関係であるが、同じ愛犬家の失踪事件として埼玉の事件の噂が広まり始め、2月中旬にはマスコミが「アフリカケンネル」に押しかけた。一気に事件が表面化し、ワイドショーなどで連日報道。Sが身の潔白を主張する一方、失踪者の家族らは事件性を訴え続けた。しかし、証拠が無い状態では疑惑の域を出なかった。 9月22日、埼玉県警はSの知人で、群馬県山田郡大間々町(現:みどり市)に住む元自衛官を詐欺容疑(前述の詐欺容疑とは異なる)で逮捕した。元自衛官は、Sに代わって「アフリカケンネル」に押しかけたマスコミの対応を引き受け、疑惑を否定するなどしており、事件について何か知っているものと見られていた。取り調べの中で元自衛官は、1984年の事件についての関与を一部認めたほか(後述)、1993年の事件についてはYの関与をほのめかした。 10月17日、県警はYを事件解決の突破口にしようと事情聴取を行ったものの、Yは事件への関与を否定。その後Yは妻(後妻)と共に行方をくらました。県警はYの妻に対し、詐欺容疑(前述の2つの詐欺容疑とは異なる)で逮捕状を執ってY夫婦の行方を追っていたところ、11月24日、都内の病院に現れたY夫婦のうち、妻を逮捕。Yには逃走されたが、前月に事情聴取を行った捜査員に対し、Y自ら電話を掛けて話すうちに、出頭を決意。12月3日からYに対する事情聴取が再開され、やがてYは犯行に関与したことを自供した。同13日、Yは片品村に捜査員を案内し、Aの遺骨や遺留品の発見に至った。 年は明けて1995年1月5日、県警はSとKをAに対する死体損壊・遺棄容疑で逮捕。8日にはYも同容疑で逮捕された。
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