事件発生から逮捕まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 22:45 UTC 版)
「ハッピーランド放火事件」の記事における「事件発生から逮捕まで」の解説
1990年3月25日夜、フリオ・ゴンザレスは元恋人の勤務先であるハッピーランドを訪れ、復縁を迫っていた。元恋人から断られた後も迫っていたが、前3時頃、彼は用心棒によって店から追い出された。目撃者によると、彼は酔った様子で「こんな場所つぶしてやるからな」("shut this place down.")と喚いていたとされている。 店から追い出されたゴンザレスは、ガソリンスタンドで1ドル分のガソリンが入った容器を購入した後、店に戻り、店の唯一の出入り口である階段にガソリンをまいて火をつけた。これにより87人が亡くなり、犠牲者の中にはクラブのオーナーも含まれていた。犠牲者のうち19人は1階におり、残りは2階にいた。また、6人の遺体が入り口のドアから数フィート離れたところで見つかった。 死因の多くが窒息または圧迫死だった 。また、犠牲者の多くが謝肉祭を祝いに来たホンジュラス系アメリカ人であり 、その多くが地元のガリフナ系アメリカ人のコミュニティの出身者だった 。 50人の消防士が消火に当たり、火は5分で消し止められた 初期の報道では3人が生き残ったとされたが、のちに5人 または6人に修正された。 この中には、犯人の元恋人や、ハッピーランドのオーナーの妻が含まれていた。また、DJは身体の半分に二度または三度の火傷を負っており、危篤状態で病院に搬送されたが、一命を取り留めた。 犯行後、帰宅したゴンザレスは、ガソリンの染みた服を脱ぎ捨てて寝た 。 一方、警察は元恋人から事件発生当時の状況を聞き出し、ゴンザレスが犯人であると断定した。そして、翌日の昼に彼は逮捕され、クラブに火をつけたことを認めた。
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