人の遺体
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遺体の保存方法として利用された例も多い。中国や日本では戦国時代以降、打ち倒した相手の首を切り落として首級として持ち帰る際に、首を塩漬けにして腐敗を防いだ。また権力者が客死した際や埋葬する際、あるいは他の季節なら問題なくとも、真夏に死去して葬儀の間に遺体が腐敗しやすい場合など、塩漬けにして遺体を保存する事もあった模様である(文禄・慶長の役の耳塚を参照)。 ヨーロッパでも第一次世界大戦の頃までは、遺体を戦地から塩漬けにして輸送する事もあった。
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人の遺体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/17 08:50 UTC 版)
墓からは二人の女性の遺骨が発見された。一人は推定年齢80歳でひどい関節炎およびその他複数の病気にかかっており、もう一人は50歳であった。生前どちらがより重要な人物であり、二人の女性のいずれがもう一人の死に伴い犠牲(人身御供)として捧げられたのかははっきりしていない。14頭の馬と1頭の雄牛、3匹の犬の骨も見つかった。贅沢な葬儀や副葬品は被葬者が大変高い地位にあったことを示している。一人の女性は、贅沢品であるひし形模様の綾織の良質な赤いウールのドレスと、上質白い亜麻の紗で出来たヴェールを身に着けていたが、もう一人はより質素な青いウールのドレスにウールのヴェールを着用しており、両者の間に社会的な階層の差が見られる。どちらの女性も全て絹で出来た服は着ていなかったが、赤いドレスの下に着用されたチュニックに絹の小片がアップリケされていた。墓の材木を年輪年代学的に分析したデータによれば、埋葬されたのは834年の秋である。高位の女性は ハルフダン黒王(英語版)の母でハーラル1世の祖母であるユングリング家の女王オーサ(英語版)の墓であるともいわれている。最近の検査では 女王オーサが居たノルウェーの小国アグデル(英語版)に住んでいたことが示されている 。 北欧神話の巫女で預言者、シャーマンといわれるヴォルヴァだったとする学者もいる。 オスロ大学のペール・ホルクによれば、若い女性はミトコンドリアのハプログループU7であることが判明し 。彼女の祖先はイラン又は黒海付近からノルウェーに来たことになるが 真相は明らかになっていない。この発見は新しく見つかった埋蔵物に対する新たな識見を与えている。 まだ多くの謎が残されているものの、遺骨の調査により生前の二人について明らかになっている。若い女性は鎖骨を骨折しており、これが当初彼女が人身御供だったであろうという証拠にされたが、より詳しく調べたところこの骨はしばらく回復していたことがわかった。また、彼女の歯には9世紀では稀少でぜいたく品だった金属のようじが使われた痕跡が発見された。 年配の女性はガンを患っていた模様で、これが死因であった可能性もある。また彼女はあごひげが生えることを含めた男性的な特徴を呈するホルモン障害、モルガーニ症候群にもかかっていた。どちらの女性もヴァイキングのほとんどが魚を食べていた当時、よりぜいたくな肉を中心とした食事をとっていた。しかし、二人に血縁関係があるかどうかを証明するのに十分なDNAがなかった。
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