協定締結後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 17:54 UTC 版)
「ヴィラ・ジュスティ休戦協定」の記事における「協定締結後」の解説
11月3日午後3時に結ばれたヴィラ・ジュスティ休戦協定は、24時間後となる11月4日午後3時に発効することが定められた。よって前線では両軍の戦闘の可能性が続いていた。オーストリア側代表であったヴィクトル・ウェーバー(英語版)将軍は事実誤認から退却中の軍に誤って停戦命令を出し、攻勢を継続していたイタリア側に有利な行動を取ってしまった。 もっとも、既にオーストリア=ハンガリー軍は軍隊としての体を成しておらず、停戦命令は結果に大した影響はなかったとする意見もある。イタリア側は予定通りイソンヅォ川までの領土を回収し、次いで割譲が決定していた地域に軍を進駐させた。 領土割譲はのちにパリ講和会議を経てサン=ジェルマン講和条約(対オーストリア共和国、1919年9月10日調印)、トリアノン講和条約(対ハンガリー王国、1920年6月4日調印)で再確認され、1920年7月16日にサン=ジェルマン条約が発効した。
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