協定締結後の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 09:40 UTC 版)
係争地域の多くの住民がドイツを支持している状況でのチェコスロバキア単独の対独戦争はさすがに無理があり、9月30日、チェコスロバキアのヤン・シロヴィー首相は協定受諾声明を行った。同日午前、チェンバレンはフランスに無断でヒトラーと会談を行い、英独海軍協定こそが両国相互不戦の象徴であるという英独共同宣言を行った。 これによって戦争の危機は回避され、チェンバレンやダラディエ、ムッソリーニは熱狂的な歓迎で本国に迎えられた。9月30日、ロンドンの飛行場に降り立ったチェンバレンは、空港を埋め尽くす歓迎の群衆に、英独共同宣言の文書を振りかざしてみせた。同日夜の首相官邸のバルコニーでの演説では、「我々の歴史の中で、名誉ある平和が戻ってきたのはこれで二回目である。これは我々の時代のための平和であると信ずる」と語った。 10月1日にはナチス・ドイツはズデーテン地方に進軍した。10月5日、ドイツ外相リッベントロップは英仏に対し、協定にある10月10日までに併合される「ドイツ人が多数居住する地域」は1918年の時点でドイツ人が50%以上住んでいる地域であると確認を求めた。英仏はこの要求に応じ、チェコスロバキアは住民投票を行うことを断念した。
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