協定締結
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5月25日何応欽はその代理徐燕謀を通して関東軍司令官に正式停戦提議を渡した。5月31日午前11時11分、塘沽において日本側代表、陸軍少将岡村寧次関東軍参謀副長は中国側代表、陸軍中将熊斌と以下の内容の停戦協定を調印した。 中国軍は速かに延慶、昌平、高麗営、順義、通州、香河、宝坻、林亭口、寧河、蘆台を通する線以西及以南の地区に一律に撤退し爾後同線を越えて前進せず 又一切の挑戦攪乱行為を行うことなし 日本軍は第一項の実行を確認する為随時飛行機及其他の方法に依り之を視察す 中国側はこれに対し保護及び諸般の便宜を与うるものとす 日本軍は第一項に示す規定を中国軍が遵守せる事を確認するに於ては前記中国軍の撤退線を越えて進撃を続行する事なく自主的に概ね長城の線に帰還す 長城線以南にして第一項に示す線以北及以東の地区内に於ける治安維持は中国側警察機関之に任ず 右警察機関の為には日本軍の感情を刺戟するが如き武力団体を用ふる事なし 本協定は調印とともに効力を発生するものとす 南京政府は同日午後3時より緊急会議を開き、停戦協定成立が報告されると満場一致で承認した。
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協定締結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 04:17 UTC 版)
11月25日、ベルリンのリッベントロップ事務所で協定の調印式が行われた。日本側の全権大使は武者小路駐独大使、ドイツ側はリッベントロップが行った。協定の内容はドイツ側の提案、すなわち1935年11月のラウマー案の内容を大きく超えるものではなかったが、国防軍の主張通りの軍事協定の性格はつかなかった。 協定締結後には祝賀晩餐会が開かれたが、この席にはヒトラー、ヘルマン・ゲーリング、ルドルフ・ヘスといった高官の他、外務省関係者からは外相ノイラート、外務次官エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーらの首脳が参加したが、国防軍からはただ一人カナリスが参席していた。国防軍はこの場に高官を出席させないことで不快感を示した形になり、またこのような場にカナリスのような地位の人間が出席するのは極めて異例である。
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