協定破棄へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 09:20 UTC 版)
国際ニュースをヨーロッパの通信社(とりわけロイター)からの供給に依存せねばならなくなったAPは、国際協定の破棄を大目標に掲げる。1893年、アメリカ国内に限って自主権を獲得し、3大通信社に準ずる存在として協定に加わったが、国際市場への進出は依然として制限されたままであった。 1918年、APはアヴァスの勢力圏である南米に進出した。ただし、南米の新聞社が契約相手をアヴァスからAPに変えた場合、その損失分をAPはアヴァスに補償せねばならず、しかもAPからアヴァスへ提供する記事はこれまで通り無償とする、極めて不利な条件下での進出であった。 1927年に開催されたAPの理事会は、協定の破棄を支持した。さらに1933年、APは日本の新聞聯合社とニュース交換契約を締結し、国外市場に乗り出した。堅固な独占体制の崩壊が既成事実となったことで、ロイターやアヴァスは打撃を蒙った。翌1934年、協定は正式に破棄され、3社による分割独占の時代は終わりを告げた。以後、豊富な資力を誇るアメリカの通信社が発展を遂げた。
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