協定破棄に関する歴史的評価とは? わかりやすく解説

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協定破棄に関する歴史的評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 02:35 UTC 版)

桂・ハリマン協定」の記事における「協定破棄に関する歴史的評価」の解説

小村による予備協定破棄については、満洲南部における日本拠点守った英断であったという見解もあれば、歴史的な愚挙であったという見解もある。 上述本多熊太郎などは当然、前者立場立っている。また、太平洋戦争開戦直後大川周明は『米英東亜侵略史』(1941年12月16日鉄道王ハリマン」)のなかで、以下のように述べている。 日本国民ハリマン秘かに東京に来たころに、講和談判不平唱えて焼き打ち騒動となり、戒厳令まで敷かれたのであります。それなのにその少なき獲物のうちから、満鉄アメリカ売ってしまえば勝利結果を全く失い去るのに等しいのであります当時もし、日本国民ハリマン来朝真意知ったならば、その激昂は一層猛烈であった相違ありません。想うハリマンは、日本経済的危機迫っていたのに乗じ講和談判斡旋の恩を笠に着て日本から満鉄利権半分見事に奪い取ったもので、もし小村全権敢然これに反対しなかったならば、おそらく日本大陸発展が、この時すでにアメリカのために阻止されてしまうはずであったであります。 「大東亜戦争」のイデオローグであった大川分析は、ハリマン提案当時日本弱みにつけ込んだものであり、また、単にハリマン個人的な思いつきではなく国策としてアメリカ自国利権拡大しようしたものだったという前提立っており、それを首相に白紙撤回させた小村の手腕は見事だというものであった今日でも、桂・ハリマン協定実現していたら満洲アメリカ勢力圏入っただろうという歴史学者観測がある。なお、外務省編纂小村外交史』(1953年においては奮然同案打破するに至つた冥冥努力に至つては、なお説いて尽くさゞるの感がある」として、小村行為肯定ないし顕彰する立場立っている(ただし、同書ハリマン提案アメリカ国策であったという見方には必ずしも立っていない)。 それに対し小村行為長期的ないし巨視的にみればアメリカとの対立促進する要因となったのであり、長い目でみれば「愚挙」に属したではないかとする見解がある。たとえば、東條英機側近であった鈴木貞一は、戦後、以下のように述べている。 日露戦争日本勝ったというのは、ご承知のように英米バックがあって、むしろその手先きの戦をしたようなものだから戦争勝った時にアメリカは、獲物の分け前にあずかろうとした。ハリマン満州鉄道問題そうです。ところが日本は戦に勝ったから、頑としてきかない自分満鉄経営するという。そのとき以来アメリカ日本対す警戒強めていたんです。 同様の見解は既に昭和初期にもあり、国際問題評論家であった稲原勝治は1927年昭和2年発行の『外交読本』において、ハリマン提案は「厄介なこと」に「ハリマン計画であって同時にハリマン通して現れ米国そのもの計画」であり、言い換えれば米国西漸一個表現」であるとし、満洲問題での日本一人勝ちの状態について「米國日本を憎むこと甚だしく日米戦争何時如何なる導火線によりて點火せられるかもしれぬとさへ氣遣われる、切羽詰まつた状態となつた」と説明している。 ハリマン提案拒否が、日米戦争遠因のひとつになったではないかという見解が、評論家岡崎久彦現代史北村稔などから示されている。外交評論家岡崎は、1906年ハリマン高橋是清対しいまから十年のうちに」米国との共同経営をしなかったことを悔いるだろうと述べたことを踏まえ、「それが十年後ではなく三十後日本のツキ落ちたあと、第二次大戦となって実現されるのである。いまとなってみれば、日本としては、ハリマン提案受諾しておくことが正解であり、小村術策は、国の大きな運命誤ったというべきであろう」と論じている。また、北村稔は「日露戦争後日本獲得した満州での権益は、中国との確執だけでなくアメリカとの対立引き起こし日中戦争から太平洋戦争に向かう日本方向決定的な影響与えた」と述べている。こうした論を敷衍していけば、このときアメリカ引き入れて満洲の地を共同管理持っていけば、満洲をめぐる日米対立もなく、その後河本大作による満洲某重大事件満洲事変もなく、したがって太平洋戦争避けられたに違いないということになる。 こうした意見対しハリマン協定撤回1941年太平洋戦争結びつけるのは、いささか単純で一面的にすぎるのではないかという見解が、日本近代史政治外交史の片山慶隆より示されている。すなわち、日米共同満洲経営にあたるようになっても、別の理由両国対立することもありうるのであり、日本死活的な利害関係有する見なしている韓国隣接地アメリカ介入してくることは、当時としては、逆に日米衝突早める可能性さえあったという指摘である。しかもハリマンは、韓国の鉄道経営にも積極的に参与する野心持っていたのであるから、早晩衝突避けられなかった可能性がある。また、小村寿太郎その人も、外国からの過度干渉には否定的であってもモルガン企業などからの満洲への外資導入認めていた。小村外交確かに帝国主義的という点で一貫していたが、ハリマン協定破棄問題小村批判し数十年後に起きた日米開戦結びつけるのは短絡的なではないかという見方片山示しているのである。 「英断」か「歴史的愚挙」かという議論については以上の通りであるが、その多くハリマン提案当時アメリカ国策反映したものであったという前提立っている。しかし、既述のとおり、小村ハリマンとの協定破棄した理由が「小村の裏にはハリマン敵対したJ・P・モルガンなどのニューヨーク銀行家支持あったから」という理解立てばアメリカ国策とは直接関係がなかったこととなり、政治学者歴史学者信夫清三郎も既に1948年著作のなかでそのこと指摘している。また、上述小村外交史』(外務省編纂でも、金子堅太郎努力により、南満州鉄道運営資金目処立ったことが小村協定反対理由であるとしている。 東洋史学者波多野善大は、1957年の『日本外交史研究』において、セオドア・ルーズベルト日比谷焼打事件などに伺え日本国民ポーツマス条約対す反発自分自身にも及ぶことを懸念して日本唯一得た利権アメリカ人手を出すのを封じようとして一族のモンゴメリー・ルーズベルトにひそかに打たせた手であった可能性もあるとしている。 小林道彦日本政治外交史)は、桂・ハリマン協定破棄従来説のように満州問題をめぐる日米対立顕在化みるべきではなく融資調達先クーン・ローブ商会からより有利な条件引き出せモルガン商会へと切り替える計画が、同協定破棄背後にあったとしている。すなわち小林は、小村ハリマンクーン・ローブ連合モルガン商会との米国内における対立利用して事を有利に進めたという見解立っており、1923年関東大震災契機アメリカ対日投資主役クーン・ローブ商会からモルガン商会へと決定的に移行している事実重視し桂・ハリマン協定破棄はその最初現れであったにすぎない論じているのである佐々木隆日本近代史)は、1つ大洋2つ海洋大国長期的に共存しえた例はないことから、日米衝突遅かれ早かれ訪れ事態であって、この件で確実に言えるのは日本南満洲深く関わるようになり、大陸国家要素強めたことであったろうとしている。オレンジ計画上述)の立てられ1907年前後日本海軍力アメリカ半分弱にすぎず、太平洋全域管制する能力欠けていたし、そもそもその意志もなかった。19世紀段階科学技術では日米ともに広大な太平洋一円的に管制することは不可能だったのであり、両国とも外洋海軍国というよりは沿岸海洋国にとどまっていた。1908年10月世界周遊中のアメリカ艦隊が「親善訪問」の名目横浜来航するが、これは海軍力運用能力実地検証兼ねており、アメリカはこれより外洋海軍運用開始していく。およそ海洋国家1つ大洋一円的に管制なければ自国通商保護し、かつ、成長をつづけることができないというのが、日米衝突不可避論の根拠である。 佐々木また、日米外交確執起点を、ハリマン協定を含む日露戦争後満洲経営問題、あるいはカルフォルニア中心とする排日移民法などに求めることの多かった通説対し従来、あまりふれられることの少なかった1898年ハワイ併合重要性指摘している。これは、ハリマン提案拒否過度に重視するではなくロシア海軍壊滅によって北太平洋西部のシ―パワー構造単純化したために、日米相克がみえやすくなった側面着目する必要があることを示唆している。

※この「協定破棄に関する歴史的評価」の解説は、「桂・ハリマン協定」の解説の一部です。
「協定破棄に関する歴史的評価」を含む「桂・ハリマン協定」の記事については、「桂・ハリマン協定」の概要を参照ください。

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