背景と作戦準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/17 22:51 UTC 版)
開戦当初のセイロン沖海戦およびベンガル湾作戦以降、日本海軍のインド洋での作戦は潜水艦の活動のみに限定されていた。ドイツ・イタリアからはこれを補うべくモンスーン戦隊が派遣されていた。だが、日本海軍南西方面艦隊(司令長官:高須四郎中将)は再びインド洋での水上艦による通商破壊作戦の実施を計画し、1944年1月20日に作戦を発令した。 この作戦の目的は、インド洋における連合国の通商路の破壊、太平洋方面の敵戦力への牽制、敵船舶の拿捕・鹵獲による輸送船不足の解消などであった。また、1944年中には陸軍のインパール作戦が計画されており、サ号作戦はこれを支援する意味合いもあった。 詳細は「インパール作戦」を参照 戦力としては第十六戦隊(司令官左近允尚正少将)の重巡洋艦「足柄」(旗艦)及び「青葉」の2隻が予定されていたが、北方に於いて連合国軍の活動が活発化したため「足柄」は北方部隊に編入され、代わりに「青葉」が第十六戦隊の旗艦となった。 また、連合艦隊に司令部に「足柄」の代艦を要求したところ、当時リンガ泊地にいた第七戦隊の重巡洋艦「利根」、「筑摩」の二隻が派遣された。 補給隊として軽巡洋艦「大井」、「鬼怒」、駆逐艦3隻が支援に当たった他、潜水艦や航空部隊も索敵や攻撃待機を行った。 「利根」の戦闘詳報によると、敵の勢力圏内での作戦のため、艦首の菊花御紋章を隠す、星条旗を掲げるなどの偽装工作が行われた。
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